勇者と鍛冶屋(終)
蝉の声が五月蝿い。
その五月蝿い鳴き声さえ吸い込んでしまいそうなほど、冷たく、そして静謐な色をした剣が一振り。
柄には、勇者の左手に刻まれたものと全く同じ紋が彫り込まれている。
鍛冶屋は、タオルで汗を拭いた。額から顎にかけて、ゆっくりと。
加齢による僅かな皺が、彼が歩んできた道のりを物語る。決して老いてはいない。しかし、確かに積み上げてきた技術と自信を、鎚に乗せて彼は腕を振るう。
鉄を打つ、規則的な音が工房内に響く。その度に、彼の脳は僅かに揺れる。
その揺れは、遠く過去の記憶を呼び覚ます。
かつて、彼の偉大な父親は言った。
「いいか、剣ってのはな、形が出来たら完成じゃねぇんだ。その剣に一番合ったやつが、柄を握って、そしてようやく完成なんだ」
その言葉に従えば、かの勇者と同じ紋を彫り込んだその剣は、永遠に完成することはないということになる。
何故なら、その剣は、かの勇者のためだけに作られたものだからだ。
「あ、いらっしゃいませ!」
花屋の娘が、人懐っこい笑みを浮かべて出迎えた。
「珍しいですね、鍛冶屋さんがお店に来るの」
煤で花を汚すことがないよう、綺麗な身なりに着替えてきたつもりだったが、この子の前だとなんとなく自分が汚れているように思う。多分、気の所為だが。
「そうだね。お母さんはいるかい?」
頻繁に打ち水をしているからか、それとも多少なりとも緑があるからか、真夏の太陽の下でもここは少し涼しく感じる。
「母なら今、お得意先の教会に花を届けに行ってるところです。今日は結婚式があるそうなので」
「そうか、いつ頃帰ってくるか分かるかい?」
誰のものとも分からない結婚式。こうやって、知らないところで誰かの幸せは紡がれていく。
「もうそろそろだと思いますよ」
「そうか、じゃ、ちょっと待たせてもらっていいかな?」
冷たいお茶を流し込む。胃にひんやりとした感覚が伝わって、そういえば今日はまだ何も食べていないと気づく。
「あ、今お茶菓子持ってきますね」
つくづく気が利く娘さんだ。主人である母親がいなくても、立派に店を切り盛りしている。
俺が同じくらいの歳の時は、剣を作ることすら放棄していたっけ。
「おやおや、珍しいお客さんだこと」
店の主が戻ってきたのだ。
「あ、すいませんお邪魔してます」
花屋の主人は、少しだけ目を細めた。
「なるほど、もうそんな時期かい。ちょっと待ってなね」
「あ、お母さんおかえりなさい!」
お盆を丁寧に運びながら、娘さんがやってきた。
「ただいま、店番ご苦労さま」
主人は、俺の花を持ってくるためか、そのまま店の奥へと消えていった。
出された茶菓子を頬張る。疲労の溜まった身体に、砂糖の甘さは嬉しい。
花の微かな香りが鼻腔をくすぐる。全く詳しくはないから、何の花かは知らないのだけれど。
「鍛冶屋さん、花が欲しいなんて、まさかいい女の人でも見つけたのー?」
突然のことに、お茶を吹きそうになる。
「あ、いや違うけど」
「ホントかなー?」
嗅ぎなれた花の香りが、ふわりと鼻を撫でた。
「あんた、また帳簿ちゃんと付けてないでしょ、早く付けてきなさい」
花束を抱えた主人が、部屋に戻ってきた。
「はーい、ごめんなさーい」
娘さんは悪戯っぽい笑みを浮かべて、主人と入れ替わるように店の奥に入っていった。
「ふぅ、あんたもあの子の言う通り、そろそろいい人見つけた方がいいんじゃないの?」
「いいんですよ僕は、剣と添い遂げますから」
主人は、手際よく花束にラッピングを施している。その手際も、何度も見てきた光景だ。
「律儀だね、まぁ、こうやって毎年来る時点であんたはそういう人ってことだものね」
綺麗に飾り付けられた花束が、目の前に差し出される。
「お代はいらないからね」
花屋の主人は、優しく微笑んだ。
「え、そんないつもいつも・・・」
彼女は、「何言ってんだい」と言って俺の背中を叩いた。
「何度も言ってるだろ、一年に一回しか来ないやつが遠慮してんじゃないよ」
まぁ、確かに大して高くもない花を買うだけなのだが。
「それに、アンタのおかげでこの街は随分有名になったもんさ。稀代の名工現る、ってね」
自分が何年も何年も一人で積み上げてきたと思っていたモノ。しかしそれは、いつの間にか色々な人々を巻き込んでいたようだ。
気が付けば、ここは鉄鋼の街として発展していた。
別に鉱脈を掘り当てたのは自分ではないし、加工技術だって、進んで広めたりした訳では無い。だから、自分が祭り上げられるのは何か違う気がするのだけれど。
「いつもありがとうございます」
花束を受け取り、日差しと蝉時雨が降り注ぐ屋外へと出る。
目的の場所へは、昼過ぎくらいには着くだろう。
つるりとした墓石に、自分の顔が映る。その顔に何となく父の面影を感じて、思わず笑ってしまう。
小高い丘の上、夏の熱気を流すように心地よい風が吹く。
勇者と私の間には、もはや言葉は要らない。
哀しみや喪失感なんてものは、とうの昔に置いてきた。常に時は動いていくから、自分だけ止まっている訳にはいかないのだ。
「しかし、お前のお墓はいつも綺麗だな」
墓前には、幾多の花束がたむけられていた。
勇者は私にとっても勇者だが、街の人々にとっても勇者なのだ。
しかし、丁度墓石の正面には、まるで避けられているかのようにぽっかりとスペースが空いている。毎年のことだ。
最後のピースを嵌めるように、赤い花束を丁寧に置く。
「まぁ、ほんとは赤なんて縁起じゃないのかもしれないけどな」
蝉の声は、少し遠くからやってくる。そのまま、日が傾くまでここにいようと思う。
今日は、私の他には誰もここにはやって来ないのだ。
「すいませーん!」
梟が鳴き始めた頃、ドアを叩く音が店に響いた。
聞きなれない少女の声だ。尤も、街の人ならば、今日は店がやっていないことは承知のはずだから、それもそのはずである。
「悪いけど、店は今日はやってないんだ。看板も出てるだろ」
今日くらい、店のことは考えずに過ごしたい。そんな思いから、扉も開けずにぶっきらぼうに答えてしまった。
ちょっと悪い事をしたかな・・・
「あ、あの。お店じゃなくて、人を探してて」
人探しなら、こんな街外れに来るのはおかしい。
「ここは、有名な鍛冶屋さんのお店ですよね」
俺に、用があるのか。
「今開ける、ちょっと待っててくれ」
燭台に火をつけ、鍵を開ける。
灯りに照らされた少女は、青い瞳をしていた。
「まぁ、とりあえず入りな」
少女は真夏だというのに、緋色の外套を羽織り、手袋をはめていた。
聞いたところによると、ずっと西の砂の都近くの村から来たらしい。
「私の村が、モンスターの大規模な襲撃を受けていて。だから、助けてくれる人を探していて、それで・・・」
栗毛色の美しい髪の先は、少し傷んでいるように見える。
「よく君みたいな女の子に旅をさせたな、まだ十代半ばくらいだろ」
「私がやらなければいけないことだから。私が村を守らないと」
自分の膝の先を見つめながら、弱々しく答える彼女の、その手は少し震えていた。
「と言ったって、俺は鍛冶屋だ、戦えるわけじゃないぜ。なんで俺のところに・・・」
言葉尻を攫うように、少女が答えた。
「あの人がここに居るって聞いたから」
青い目が真っ直ぐにこちらを捉えている。
「この紋に見覚えないですか!?」
少女は、左手の手袋を外した。
ああ、そういえばアイツは生まれながらにして勇者となるべくして生き、俺は生まれながらにして鍛冶屋となるべくして生き、そして彼女は生まれながらにして村を守る宿命を背負っているのだろう。
濡れた頬を拭う。
みんなそうだ。みんな、何かに縛られて、枷をはめられて生きている。それでも、その中で精一杯抗いながら生きている。
少女の力強い瞳が、かの勇者の面影に重なる。
「お前の探してるやつなら、そこに居るぜ」
ガラスケースの中の剣を指差す。
不思議そうな顔をしている彼女に、続けざまに言葉を投げかける。
「お前と俺の剣で、お前の村を救うんだよ!」
西の都の砂の村。若い女剣士と、名工と謳われたある鍛冶屋の活躍が、長く語り継がれる事になるのだが、それは少し、先のお話。
勇者と鍛冶屋 ー終ー
お題提供者:るー様
お題:「面影」