暑い日
暑い。垂れ落ちた汗が、瞬く間にアスファルトに吸い込まれていく。自分の身体ですら、地面に溶けて消えてしまいそうなほどの灼熱だ。大げさなのは分かっている。だが、この湿度を伴う不快な暑さに対抗するには、多少頭がおかしくなるくらいでなければならないのだ。
「なぁ、何で夏ってこんなに暑いんだ」
私は何の気なしに友人に聞いた。駅から自宅までの道のりが長い。この暑さの中では、その道中が終わらない地獄のように思えてくる。心なしか、距離が伸びているのではないかとさえ思うほどだ。
「夏だからでしょ。寒かったら、それは冬になっちゃうじゃん」
蝉の声が、夏の暑さに痛めつけられている私たちを煽っているかのようで、正直腹立たしい。電車内の過剰な冷房にさらされた身体は、蒸し暑い外気に対しての耐性を全くと言っていいほど失っていた。玉のような汗が、首筋から腹まで伝い落ちてきて、この上なく不快だ。
「なるほどな。夏だから暑いというわけではなく、暑いから夏だ、という構造だな」
歩いて帰るのではなく、バスを使えば良かったと後悔した。もう道中の半分ほどまで来ていたから、このまま歩いていくのが妥当だろう。こんなに暑いというのに、笑いながら走り回る子どもには、尊敬の念を抱く。昔は自分もそうだったのかと思うと、少し信じられない。
「そうだな。俺たちは暑くなってきたと感じるから、夏がやって来たと思うわけだからな。季節が先にあるのではなくて、感覚が先にある、っていう感じかな」
時折、「七月で暑いなんて言っていたら、八月はどうするのだ」というような言葉を耳にするが、暑いものは暑い。八月はもっと暑い、それだけである。冬ならば「二月はもっと寒い」ということになろう。四季がはっきりしているというのは、良いことも悪いこともある。日本人はよく、暑いのと寒いのではどちらがより耐えられるか、というような話をする。これもはっきりした四季があるからこその文化だろう。
「分かった。現在私たちが冬と呼んでいる季節を、夏と呼ぶことにすればいい。そうすれば、寒くなってきたら夏が来た、と感じるようになるわけだから、夏が暑くなくなるぞ」
「ああ、そうだな」
友人は、私を少しだけ哀れむような目つきで見て、さっさと歩きだした。こんな暑さに対抗するには、多少頭がおかしくなるくらいでなければならないのだ。