ことばの海

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深海魚

雨が上がった夜の街を、私は走っておりました。アスファルトは黒々と濡れており、そこから立ち上ってくる冷気が足首にまとわりついてくるのを感じます。心なしか、浮かんでいる大きな月も水を湛えているようにも思えました街中が水気に満ち満ちていて、まるで深海の中にいるような、そんな夜でした。

 私はなぜ走っているのでしょう。自分では確かに理解しているはずなのですが、その時はどうしても思い出せないのでした。時折、私は深海にすむ魚とすれ違います。彼らはなぜ走っているのでしょう。どうでもいいことです。私は右足と左足とをせかせか動かすことだけに腐心しておりましたから、そんなことを考えている余裕などは無かったのです。少し走り続けていると、だんだんと両足を動かすという感覚が無くなってきたのでした。そうすると、私の意識は左腕と右腕を交互に振ることに移っていきました。

 人はなぜ走るのでしょう。人間以外の生き物が走るとき、それは何かに追われているときか、何かを追っているときでしょう。私も何かに追われているのでしょうか。或いは何かを追っているのでしょうか。人間でなければ、きっとそれは明確なのでしょう。それが明確ならば、生きるということはどれほど楽なことだろうかと思うのです。こうして何も考えずに走っておりますと、自分が一体何を目指し、何を恐れて生きているのか少しだけ分かるような気がしてくるのです。

 夜が濃くなるにつれ、街の水もまるで実体があるようにすら思えてきました。私の、両腕を振るという意識もだんだんと夜の中に消えていきました。感じるのは肺に空気が出入りする感覚と、両耳のイヤホンから流れる音楽だけとなりました。遂に私は、この夜の中を泳いでいるような気さえしてきたのです。そうしてきますと、一方で頭の中は澄み渡るほど綺麗になっていきました。波ひとつない湖の水面を彷彿とさせる静かな心。或いは深海魚たちは、このような心持で泳いでいるのでしょうか。

 泳いで、泳いで、私の行き着く先は一体何処なのでしょうか。心が静かになっていきますと、逆に頭の中にはいろいろな物事が、マリンスノーのように降って来たのです。その一粒一粒を、丁寧に掬い上げてじっくり眺めてみたのです。今私が立っている場所、目指しているもの、厭なこと、昔の記憶。その全てを拾い上げて考えることができるほど、その時の私には余裕があったのです。

 夜は益々その濃さを深めていきました。私は完全にこの夜を泳ぐ深海魚となりました。物思いは、留まることを知りません。或いは、深海魚とはもっとも偉大な哲学者なのではないでしょうか。そんなふうに思った、夜でした。