ことばの海

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勇者と鍛冶屋(4)

「だーっ!お前またこんな状態になるまで放っておいて」

勇者の剣に、刃こぼれは付き物らしい。

彼の鼻の頭は赤かった。今日は、今年一番の大雪だ。

「いや、研ぐ機会がなくてさ。しかもその剣、ちょっと癖があるだろ」

勇者は、暖炉の前のソファに寝転がった。

ソファが軋む。部屋にその音が響く。天の神の憂さ晴らしかと思うほど強く降る雪だが、それでもやっぱり雪は静かに降るものらしい。

「まぁ、研ぎにくいのは確かだ」

いつのことだったか、異国の軍人が、こういうふうに静かに降る雪の様子を「しんしん」と表現するのだと言っていた。いい言葉だな、と思う。

「だろ、ってことはお前に頼むのが一番いいじゃん」

彼は濡れた靴を脱ぎ、素足を暖炉にかざした。

「とりあえず、着替えてきたらどうだ。風呂も一応沸かしてある」

「悪いなー」と言うや否や、勇者はさっさっと風呂場へと消えていく。

勝手知ったる他人の家、というのはこういうことを言うのだろうなぁと思いつつも、彼の遠慮のなさには少々辟易する。

まぁ、勇者っていうのはそんなもんか。

勝手に引き出しを開けられたり、壺を割られたりするよりはずっとマシだ。

「着替えは左上の棚だぞ」

そう叫ぶと、返事の代わりに風呂場の入口から、親指を立てた手が覗いた。

 

この剣をこうやって研ぐのは、もう何度目のことだろう。

親父はこの剣だけのために、特別なマニュアルを用意していた。それはきっと、この剣が自分が死んでからも使い物になるようにという配慮からで、つまり、この剣はそれだけ長年の使用に堪えるだけの代物であるということだ。

「こいつは扱いが難しいからな、お前が手入れするのは十年早い」

その親父の言葉を思い出す度、果たして自分はこの剣の持つ力を最大限まで引き出せているのか不安になる。

自分なりに努力は積み重ねてきたつもりだ。技術も随分向上した。

だからといって、この思いは拭えない。

でも、もうそんなことは関係ないんだ。

暖炉の薪が、バチッと爆ぜた。

「ふぅ・・・」

最後の仕上げを終え、刀身を丁寧に拭く。

薄暗い工房の中、揺らめく炎を写した刀身は、何度見ても吸い込まれそうなほど美しい。

 

ここ十年ほど、俺は俺しか作れない武具を見つけようと足掻いていた。

親父の面影を追うんじゃない。自分がどうしたいのかを常々考えてきた。

洗面台で顔を洗う。鏡の前には、随分と老けた自分の顔がある。どうやら婚期は逃しそうだ。でもネガティブなことだけじゃない。俺の顔がこうなるまで、俺はこの工房で鉄を打ち続けてきたんだ。まだ目は生気を失っちゃいない。

そして、やっとアイツに握らせるに値する剣の完成が、もうすぐそこまで来ている。

 

「いやーさっぱりしたわ」

工房を出たちょうどその時、湿気とともに彼が姿を現した。まだ若さの残る顔を、タオルでゴシゴシと拭っている。

「ほい」

彼は、滴の浮いたビール瓶を二本提げていた。

「一杯やろうぜ」

童顔の勇者が五つも歳下だったと知ったのは、俺が二十歳になった時、祝いの席で彼が酒に手をつけなかったからだった。

「いや、俺まだ飲めないから・・・」と目を逸らす勇者はどこか可愛げがあった。

俺はため息混じりに答えた。

「毎回言ってるけどな、それ売り物だからな」

 

「今度はどのくらいこっちに居るんだ」

窓の外では、相変わらず雪が降り続いている。

「一週間くらいかな。そしたら今度は、南の方に行ってみる」

三本目のビールを飲み干した彼は、少し眠たそうに目を擦った。

「そうか、じゃあそれまでに防具の方も調整しておけばいいな」

「マントも新調してくれると助かる」

思えば、彼が身につけているものは殆ど俺が作ったものだ。

肩幅が合わないからと、オーダーメイドで作った鎧も、「勇者っぽいから」という理由で好んで使用している防刃マントも全てだ。

逆に、俺と彼とを繋ぐものはそれだけだ。

「もう一本くれよ」

彼がとろんとした目で左手を伸ばす。

「やめとけ、疲れてるんだからもう寝た方がいいぞ」

「なんだよケチかよ」と言いながら、彼は暖炉の炎に目を向けた。

 

その彼の左手の甲には、赤い紋が刻まれている。数年前、どこかの村を救った時に受け取った紋らしい。

「いやー、なんかこの紋はその村の護り手の家系に受け継がれるヤツらしいんだけどな」と話していた彼を覚えている。

その家系は、代々火の精霊を操る魔法を扱う家系で、その紋は絶対に外に出てはいけない代物らしい。

「でな、その日、その家に後継者が生まれたってことで、村はお祭りだったんだよ」

その夜、村は魔物たちの襲撃に遭った。

「護り手の当主がそれで死んじゃってさ」

勇者は、見ず知らずの人間のために、夜通し戦った。そして、村と、産まれたばかりの後継者の赤ん坊を護り抜いた。

夜が明け、朝日が照らしたのは、満身創痍の勇者と無数のモンスターの屍だった。

「で、そのお礼ってことで、先代当主からこの紋を貰ったってわけ」

多分、彼の生い立ちがそうさせたのだろう。

 

勇者は、出掛けた先で、いつも誰かとの強い繋がりを作っている。

ここで暮らさないかと誘われたこともあれば、王様に召し抱えられそうになったこともある。求婚もされたことがあるらしい。

そんな話を、俺はアイツが戻ってきた時に聞かされる。

彼は凄い。きっと俺なんかより何倍も凄い。人を惹きつける力もあるし、その人たちを護るだけの力もある。

その度に思う。アイツは何故ここに執着するのだろうか。

彼は相変わらず揺らめく炎を見つめている。

ソファの上で微睡みの淵を彷徨う勇者に問いかける。

「なんでお前、いつもここに戻ってくるんだよ」

彼は何も答えず、毛布にくるまってしまった。

「しょうがねぇな。やっぱ疲れてるじゃねぇか」

空き瓶を片付けようとした時、微かに彼が呟いた。

「あのな」

「あ?」

短い沈黙を、薪がパチパチと弾ける音だけが埋める。

「俺の家は、ここしかないんだ」

呆然。

気がつくと、勇者は寝息をたてていた。

 

ああ。そんなこともっと早く気づいていれば良かったのに。

工房の扉を開け、使い慣れた鎚に手を伸ばす。

親父も、こんな気持ちで鎚を振るっていたのだろうか。

雪は、明け方には止んでいた。

 

 

ー続ー