鍛冶屋と勇者(1)
雨が窓を叩く。掛け時計のチクタク音をかき消すような強い雨だ。今日は虫の音も、梟の鳴き声も聞こえない。
燭台の上に一本の蝋燭。それが、この部屋を照らす唯一の光源だ。あまりに弱々しく、か細い。
カウンターに突っ伏してみる。普段は木の温もりを感じられるそれも、今日は何故か冷ややかだった。顔を上げて、顎を腕に載せる。体が重い。伸びた髭が服に引っ掛って、そういえば最近髭を剃っていないことに気づく。
憂鬱、というのはきっとこんな感じなんだろうなぁと、ぼんやりと考えた。今まで生きてきて、これほどの喪失感を味わったことがあっただろうか。
薄ぼんやりした部屋の隅に、一振りの剣。ガラスケースの中に丁寧に収められたそれを、ちらと見る。美しい。
だからなんなんだ。
どうしようもなくなって、蝋燭の炎を吹き消した。そしてもう、何も見えなくなってしまった。
「一番いい剣をくれよ!!」
入口のドアを勢いよく開けた音と共に、よく通る声が店に響いた。
あいつと出会ったのは、それが最初だった。
「あ、あの」
蒸し暑い外気が室内に流れ込んでくる。
「あんたの店にすげーいい剣があるって聞いたんだよ!その剣を俺にくれよ!な!?」
入ってくるなり、そうまくし立てたそいつは、いかにも俺の嫌いな話の分からないタイプのガキ、という風貌だった。
ただ、そいつの頬には何があったのだろうか、随分昔に負ったと思しき十字傷が刻まれていた。
「お客さん、俺と同じくらいの歳だろ。お金、もってるのかよ」
「ない!」
少年は真っ直ぐに俺を見て、悪びれもせずにそう答えた。
その横顔を、斜陽の光がオレンジ色に照らす。
「あのなぁ」
そいつが言っている剣というのは、親父が鍛えたあの剣のことだろう。
「お金もないのに剣をくれ、だなんて、少し虫が良すぎるんじゃないか?」
父の腕は一流だった。
”剣は実際に使われてこそ価値がある”と父は常々言っていた。だから店に剣が置いてあることは殆ど無かった。そして父の名前は、その剣と共に各地へと伝わっていった。
そんな父が遺した剣は、いま店にある唯一の剣だった。
何故なら、俺の作る剣は父のそれの足元にも及ばない出来だからだ。
「俺は勇者だ。だからその剣が必要なんだ」
俺は思い切り店のカウンターを叩いた。
「お前が欲しいって言ってんのはな、この間のモンスターの襲撃で死んだ親父が鍛えた剣だ。俺にとって形見みたいな大事な剣を、金もねぇやつにおいそれと渡すわけねぇだろ!」
一気にそこまで、半ば叫ぶように怒鳴った。頭の中を血がドクドクと巡っているのが感じ取れた。熱い息が、閉じた口の隙間から漏れた。
自分でも、何故そんなに取り乱しているのか理解できなかった。ただ、あいつの佇まいや振る舞いから、よく分からない何かを感じ取ったのかもしれない。
顎先から汗が垂れ落ちた。蝉の鳴き声が、耳の中で何度もこだましている気がする。
「俺は勇者だ」
あいつは身じろぎ一つしないで、真っ直ぐこちらを見つめて言った。その瞳は純粋に澄んでいるようで、その奥には深淵が見えるようであった。
頭の中が混乱している。感情を整理しながら、ゆっくりと顎をさすった。にきびが少し痛んだ。
取り敢えず俺が口を開こうとした時、けたたましい音が街に響いた。モンスターの襲撃を知らせる鐘の音だ。父が命を賭して守った教会の、その塔の鐘だ。
「また来やがったのか」
窓の外を確認すると、逃げ惑う人々とそれに逆行するように向かっていく兵士たちが、混然一体となっている様が見えた。
前回の襲撃で、街の防御施設は甚大な損害を被った。その状態でまともに戦闘を展開できるかは、正直言って疑問だった。
「今回はさすがにまずいんじゃ…」
逃げ惑う人々、倒れ伏す兵士、人間の叫び声とモンスターの咆哮とが混ざり合う。あちこちで上る黒煙、崩れかけた家屋。街は、火薬と血の匂いで充満している。
そんな光景がフラッシュバックした。
「早く剣を俺に!」
そいつは、まだそこに居た。
「お前まだそんなこと言って…」
途端、そいつが俺の腕を掴んだ。少年の顔が、ぐっと近づく。
そいつの瞳は、相変わらず澄んでいて、それでいて深淵を湛えていた。
「俺とお前の親父の剣で、この街を救うんだよ!」
~続~