ある冬の日(終)
朝、カーテンを開けると、外は一面の雪景色だった。
昨日の夜は、久しぶりに目を覚まさなかった。それだけ深い眠りについていたということだろうか。
受験勉強のストレスもそろそろピークに達しそうで、毎日自分の神経が石臼で挽かれているような気さえする。だから、よく眠れたことは良いことだった。
視界の端に動くものを捉えて、私は墓を見た。
誰かいる。
人であることは間違いない。しゃがみ込んでいるが、ここからでは何をしているのかはっきりしたところまでは見えない。
風体から何となく老人のような気がするが、肝心の顔は卒塔婆の向こう側だ。
異質といえば何もかもが異質。
朝日が雪に反射して、ジリジリと眼球を痛めつける。
別段気にすることでもない、と私は思った。だから何だというのだろうか。
とてもとても寒かったので、暖房の効いている台所へ向かって、階段を駆け下りる。
目玉焼きの焼ける匂いがした。目玉焼きを作るのは専ら姉だ。
そうか、今日は両親と祖母が旅行に行く日だった。
父と母が元々立てていた旅行の予定と、祖母が参加しているお茶会のメンバーの旅行とが、たまたま重なってしまったのだった。
幸い休みの日であるから、姉が家事全般をこなすことで何とかなるのだった。
その日は、とても穏やかな一日だった。
目を覚ますと、倒れた日本人形が現れた。
「脅かさないでよ」
そういえば、横になっているのは私の方だった。日本人形は静かに立っているだけだ。
左を向いて寝た場合、目を覚ました瞬間、床の間の日本人形たちが目に入る。この部屋を使うようになってからしばらく経つが、まだこれには慣れないでいる。
ましてや最近は夜中に目を覚ますことが多くなっているから、常夜灯の弱い光に照らされた着物姿を見なければいけなくなった。
そんな彼や彼女は、今日も今日とて少し不気味だった。
こんな時間に目を覚ますのは、今月でもう何度目だろう。そんなことを考えながら、電灯の紐を二回引っ張った。
少し薄暗い。やはり電灯のせいなのだろうか。いつまでも古い型のものを使っているわけにはいかないか。
ゆら、と障子に影が映った。
隣は祖父母の部屋だから、そのどちらかだろうか。廊下の電気もつけずに危ないなぁと思った。
影は、ぬるりと動いていく。
違う、祖母は今日は家に居ないのだ。
そう考えた私は、急に怖くなった。
この前もこんな寒い夜だった。今もし祖父の身になにかあったら、私が対処しなければいけない。
弟はまだ小さすぎる。姉は、きっと今度も呆然としているだろう。私が、私がすべてやらなければ。そうしなければ祖父は。
急に怖くなったから、電気を消して布団に潜り込んだ。
何も起こらなければいい。何も起こらなければ。
寝覚めは最悪だった。
結局何も起こらなかったのだが、ボロボロの神経を余計にすり減らせてしまった。
人形は相変わらず微笑をたたえている。
墓には、今朝は誰も居ないみたいだ。
祖父に対して若干の罪悪感を感じていたから、昨日の夜のことをさりげなく聞こうかな、と新聞を広げている背中に声をかけようとした。
「あ」
そうか、障子に祖父の影は映らないんだ。
祖父は今も健在である。