継・嫉妬しますよ、その文才。
嫉妬とは醜い感情である。
しかしながら、嫉妬とは時に凄まじい力を持つ。私がこうして言葉を紡いでいるのも、単にその嫉妬のおかげである。
かといって、この言葉を紡ぐ行為自体が素晴らしいものかと言えば、それは甚だ疑問である。
要するに自己満である。
しかし、人間は自己を満足させるために努力をするのであって、自己満が一概に悪いとは言えない。
さて、予てから私の嫉妬の対象は素晴らしい文章である。
人間は言葉を使って物事を考えるという。数字にしても図形にしても、考えるという行為には言葉は必須のツールである。
「人間は考える葦である」という言葉に倣えば、人間の本質とは考えることである。
人間の本質が考えることであるならば、必須のツールである言葉を上手く扱える者の方が、人間としての完成度が高いということである。
少々乱暴な結論だが、私の嫉妬の理由を説明するのにはぴったりである。
言葉の優劣をそのまま人間の優劣だと、私は心のどこかでそう思ってしまっているのではないだろうか。
最近、自分が素晴らしいと思う文章ではなくとも、自分が好意を寄せる人物が素晴らしいと評した文章に対して激しい嫉妬を覚えるようになってしまった。
自分の方を認めてほしいと、そう思っている醜い嫉妬である。
それがあるから、言葉におこそうとする気が湧いてくる。それは事実。それは事実なのだが、なんとなく虚しいものである。
それでも、私は言葉から逃げられないのである。