ことばの海

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列だ。長い長い列だ。十一月も半ばを過ぎ、静かな冬の空気が漸く東京にも訪れた。地元の片田舎なら、とっくのとうに一面霜が降りている時期である。その煤竹色の田畑が広がる風景と、一年中ネオンが光り輝く都会との違いに、眩暈さえ覚えるようである。
とは言ったものの、冬は確実に街を侵食していて、裸になった街路樹がその事実を教えてくれる。冷たい風に乗って、アコースティックギターの音色が響いてくる。
列は、寒さに震えるかのように、小刻みに振動していた。並ぶ人たちの息遣いや、小さな囁き声が共鳴しあい、あたかもお経のようにつらつらと流れている。
基本的に、私は都会が嫌いな人間である。汗やら香水やら煙草やらの臭いにまみれた人混みを歩くのも嫌いだし、都会特有の騒々しさも苦手だった。都会にはろくなものがない。人工的な光で彩られて、ふんぞり返るように立ち並んでいる建物たちには、微塵も温かみが感じられない。これならば、明かり一つない田舎の夜の方が幾分か優しさを感じられるというものである。だから普段私は、新宿や渋谷なんかの都会中の都会には、極力出かけないようにしている。
ただ、列だけは別物である。私はそれを美しいとさえ思う。列に並んでいる人々は各々に思うところがある筈だ。楽しそうにお喋りする親子や、ヘッドフォンをしてあらぬ方向を見つめている若者や、苛ついたような表情で、列の先頭をしきりに確認する中年のスーツ姿たちが、一つの目的のために束ねられている。その光景を美しいと言わずして、なにを美しいと言おうか。彼らは、列の先にある目的と、一握りのモラルに雁字搦めにされて、一定時間ごとに僅かに前進するという茫漠たる時間を、その一筋の中で消費している。その規則正しさは、もはや芸術の域である。
その列を冷ややかに横目で見ながら、私は足を速める。列は鑑賞するからこそいいものである。自らあんな退屈で無駄な時間を食い潰すだけの存在に身を投じるなんてことは、愚の骨頂とさえ思う。
改札を過ぎ、ホームへの階段を登りきると、また新たな列が見えてきた。
黒いコートが無数に出たり入ったりする光景は、やはり美しさを内包している。彼らは、すれ違いざまに小さな摩擦を生じ、それは各々の心に溜まった澱に火を点ける。だから、常に彼らの表情は険しい。しかしながら、それをあざ笑うかのように、列の動きはこの上なく滑らかだ。列に宿る見えない力が、一人また一人と心の火をもみ消していく。全く美しく、それでいて滑稽だ。
私は、列の最後尾に付き、イヤホンを耳に詰めた。