ことばの海

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出会ってしまった芸術

突き刺すような鋭い音が鼓膜を襲う。閉鎖された暗く狭い箱の中。人々の叫び声。汗はあふれ出て留まることを知らず、滴が鎖骨まで滑り落ちる感覚を、確かに私の肌は感じ取った。六本の弦の上を、彼女の細い指が踊る。その指はあまりにか弱くて、自らがかき鳴らす音の重さに耐えかねて、今にも折れそうに軋みながらも辛うじてその形を保っている。

 

ずっと思っていた。音楽というものに関われないか、と。高校生までの私は、野球というスポーツだけに打ち込む生活を送っていた。音楽や文学に関しては、常に受け手側の立場だった。しかしながら、逆の立場になってみたいと思わなかったわけではない。時間さえ、時間さえあればと思いながらも、それでも野球は捨てられずにいた。

 

力強いドラムの音が地面を揺らす。やがてそれは私の足元から骨を伝い、肺の中の空気を振動させる。何度同じような場所に立っただろうか。しかし今は聴き手側としての自分だけがいるわけではない。黒く艶のあるベースのボディーが、照明を反射して一瞬閃いた。思わず目を瞑る。何かを為そうとすれば、同じ道を進む者との競争は避けて通れない。新しいことを始めたら、その分の劣等感を味わうことになる。そんなこと、とうの昔に嫌というほど深く刻み込まれたのに、それでも私は何かに縋っていたいのだ。しかしなぜだろう、この人たちからは、今までに感じたことのないものを感じる。自分が行動するための意思、それを後押ししているようだ。

 

曲がサビに差し掛かり、音圧の見えない壁が私を押しつぶす。目に映るもの、耳に聴こえるもの、肌で感じるもの、全てが絶妙な均衡を保っている。私は思ったのである。自分が音楽を奏でる側に立ったことが、この感情の根源にあるものだと。だからこそ、ここに立っている人たちと、自分との諸々の差が、圧倒的な音圧となって私を押しつぶすのだ。音楽だけではない。文学に於いてだって、自分が本当に憧れるモノは常に自分の中の越えなければならない壁となる。それに気づくことができたのは、やはり人との出会いなのだろう。

アウトロがしっとりとした余韻を湛えて、時間の上を滑っていく。刹那すら惜しい、まるで戦慄がそう言っているように聴こえる。鮮やかでいて、少し煤けたような色をしたライトが消えるのを見つめ、私は扉を開けた。出口ではなく入り口の、である。