ことばの海

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若者の話

よく「最近の若者は」と言われる。

私自身、一応若者の部類に入るだろうというわけで、世間が今の若者に対してどういう感情を抱いているのか気になるところではある。

歳を重ねている方々も、時代を辿れば若者だった時期があるわけで、きっとその時も「最近の若者は」と言われて育ってきたのだと思う。時代によって価値観だったり、文化だったりは多少なりとも変わっていくもので、特に科学技術が目まぐるしく進歩していく(進歩=良い、というわけではない)現代において、それは顕著だったりする。すなわち、歳上の方々が自分たちの価値観や文化を持ち出して、それを無理矢理当て嵌めようとしているわけで(まぁ多分私たちも歳をとったらそうするのだろうが)少なくとも理解しようとする姿勢は、是非ともとって欲しいものである。言うまでもなく、若者に非がないというわけではない。頭ごなしに否定するのは如何なものかという話である。その点、最近「クールジャパン」という言葉に代表されるように、いわゆるサブカルチャーが見直されていることはとても興味深い。麻生さんがなんとなくサブカルを認めているようなスタンスであることに加えて、リオオリンピック閉会式での日本の演出など、政府も一部そういった新たな文化(作品が新しいかどうかではなく、サブカルを取り入れることが新しい)を取り入れているように感じる。実際にサブカルチャーに関連する経済効果は凄まじいものがあり、海外にも広まっている分野なので推進して損はないかと思う。

 

他に若者世代の文化でよく言われることがあるものは、所謂「若者言葉」についてである。「ヤバい」「マジ」などは既に古いタイプの若者言葉になっていて、事実50代の方が使って会話していたので、比較的幅広い年代で用いられている言葉と考えてよいはずだ。比較的新しいものとしては「とりま」(取り敢えず、まぁ)「りょ・り」(了解)「ワンチャン」(ワンチャンス)など様々である。(本当に新しいのだろうか…不安)また、これに加えて、所謂ネット用語と呼ばれるものまで存在し、日々新しい言葉ができては浸透したりしなかったり、長く使われたり使われなかったりして、それこそ目まぐるしく変化している。もし若者言葉で辞書を作ることになったら、編集部の方々は相当苦労するだろう。出版する頃には、既に使われなくなっていたり、新たな言葉が流行していたりするかもしれないからだ。

私個人の感想であるが、若者言葉には汎用性があるものが多いと感じるのだ。例えば先述の「ワンチャン」である。説明では「ワンチャンス」のことであるとしたが、実際は微妙に使い方が異なる。どちらかといえば「もしかしたら」に近い意味で使われると思う。チャンス=好機ならば、基本的にワンチャンもプラスの意味で使われるべきだが、実際は「この前のテスト、ワンチャン赤点だよ〜」のようにマイナスの意味としても使用される。そうでなくても、若者言葉の汎用性については、「ヤバい」や「マジ」について考えて頂ければ分かるだろう。どんな会話にも組み込めるといっても過言ではない。そう考えると、なんとなく私たち若い世代の会話は、使用している単語の絶対数が少ないように思えるのだ。何も、たくさん単語を知らない人ばかりが増えてしまったわけではない。同じ世代で意思疎通を図る場合、そのような世代で流行っている言葉を用いた方がより共感を得やすいと思うのだ。(そうしていくうちに語彙力不足に繋がっている感じは否めないのだが)故に若者言葉は流行る。だが、元々も日本語とはもっと細かく、且つ曖昧なニュアンスを表現するものだったはずである。

先日、留学生が日本語で書類を作成していた。彼が作成した書類に「分からないことがあったら、気楽にご連絡ください」と書かれていた。そこは気楽にじゃなくて、「気軽に」だね…と言った私に彼はこう返した。

「気楽と気軽ってどう違うんですか?」

そういえばそんなことは考えたことが無かった。何となく場面や状況で使い分けていたが、これだ!という違いは示すことができなかった。同じようで同じではない、そのような日本語はたくさんあるように思う。それを私たちは使い分けて生活している。その事実には少し感動した。

ではなぜ若者はそれとは逆の、汎用性に富み、短く、ノリのようなもので使える言葉を多用するのか。私個人としては、インターネットなどの普及によって、素早く会話のやり取りができるようになったから、というものが1つの理由としてあると考える。素早くやり取りができるようになったということは、素早くやり取りすることが要求されるようになった、ということでもある。つまり、いちいちたくさんの言葉から自分が伝えたい言葉を吟味するより、大まかに伝わる汎用性のある言葉を使った方が楽、ということである。だから若者言葉には省略形の言葉が多い。あるいは、若者言葉でない日本語を使った場合の方が、相手に伝わりにくいということである。これは単に語彙力不足といったらそれまでであるが、語彙力を補わなくとも、汎用性のある若者言葉がその足りない部分をカバーしてくれるのだ。結論、若者言葉を使った方が楽なのである。

しかし、元々の日本語を使う機会がなくなってしまったのかというとそうではない。大学生になるとレポートを作成する機会が増える。すなわち、自分の調べ上げたことや自分の考察を、他人に分かりやすく文章で伝えることが重要になってくる。そういった文章の場合、説明には微妙な違いや含みを持たせる言葉を用いた方が、自分の主張するべきことを細かく、そして的確に文章に置き換えることができる。しかしながら、それは自分が文章に表す物事に詳しいか、あるいは強く興味をもっているかのどちらかでなければならない。というのも、自分が文章に表したい!と強く思う題材でなければ、言葉を吟味して自分の個性や主張を表現する意欲が、著しく失われてしまうからである。

日本のロックバンド、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル、後藤正文氏には次のようなエピソードがある。

学生時代、先輩から「なぜお前は英語で歌詞を書くんだ」との質問に、後藤氏は「別に言いたいことがないから、言語はなんだっていいんだ」という旨の返答をしたというものだ。これについて後に後藤氏は「今は言いたいことがあるから、日本語を使う」という趣旨の発言をしている。

すなわちこれは「自分が言いたいこと」がなければ、相手に伝わるかどうかなんてどうでもいい、ということであり、逆に「自分が言いたいこと」があるのなら、それを誰かに伝えるために手段を考える、ということである。私は、若者言葉を多用している人は、その会話において自分が相手に言いたいこと、伝えたいことの重要度が低いのだと考える。例えば自分の好きな物事の話をするときに「〇〇の〇〇がマジでヤバい」で終わらせたくないはずだ。もしそれで満足する人がいれば、その興味は偽物だ。他人に自分の考えていることを的確に伝えようとすれば、必然的に言葉を選ぶようになる…と私は思うのである。

 

結論、私が何を言いたいのかというと、正しい日本語を使うための第一歩は、何かしらの物事に対して強い興味を抱くことから始まっても良いのではないか、ということである。それを自分以外の誰かに伝えようとするとき、必ず言葉を吟味する時が来る。もし語彙力不足で、自分の思うことが的確に文字にできなかった時、おそらくもどかしい思いに駆られるだろう。そして、もっと日本語を知ろうと思える。そういう過程も、日本語を正しく使うことに繋がる1つの道としてあって良いと考える。特に今の若者の世代は、多様な文化影響で、非常に趣向が広がっている。1つの話題に対しては興味のわかない人も大勢いるだろうが、まずは自分の好きなこと、興味のあることを突き詰めることから始めても良いのではないだろうか。

 

 

最後まで読んでくださいましてありがとうございます。次回からは文量を少なめにしようかと思っています。よろしければ次回も読んでください。