ことばの海

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ある冬の日(3)

「増築する」

「え」

突然祖父がそんなことを言い出したので、私は咄嗟に「どこを」と聞き返していた。

そんなの自分の家に決まっているだろうに。

「そんなの自分の家に決まってるだろ」

あれから半月が経った。

祖父は検査のために丸1日入院したものの、特に問題はなかったらしくすぐに退院した。

今は経過観察として、月に1回の通院を余儀なくされているが「ついでに病院行ってくるよ」と、本人は既にお出かけのついでのつもりらしい。

「なんで」

「高校生になったら、お前ももっとちゃんとした部屋が欲しいだろ」

孫に甘いのは全ての祖父母の特性と言っても過言ではないが、こんなにあっさりと自分のために家の増築までしてくれるとは驚いた。

尤も、私が大学生になり上京することも踏まえた上で、恐らく三つ下の弟にもその部屋を使わせるつもりなのだろう。

あの日、私は姉の叫び声で目覚めた。

まさか泥棒でも入ったか。とにかく、午前二時には似つかわしくないほど、家は騒がしくなった。

何が起こっていてもいいように、そう言い聞かせ、気を引き締めて私は部屋を出た。不思議と怖いとか驚きとか、そういった感情は出てこなかった。

祖父はトイレへと続く廊下の途中で、うつ伏せに倒れていた。

弟以外の家族は既に集まっていた。母と祖母は何度も祖父に呼びかけている。父は無言で、気道確保のためにその体をひっくり返した。姉は呆然としているようで、ただ家族の様子を見ているだけだった。

祖父は呼吸はしていたものの、呼びかけに応じる気配はなく、一二度苦しそうに咳き込んだ。

父がすぐさま祖父の頭を横に向けたので、「なんだ、意外とうちの家族は心得ているもんだな」と思ったのを覚えている。

救急車を呼ぶかどうか、という話が始まった時、祖父が身をよじって起き上がろうとした。慌てて父が体を支える。祖父は「大丈夫だ」というように左手を上げるも、結局は立ち上がれず壁によりかかって座り直した。

「大事になってからじゃ遅いし、救急車を呼んだ方がいいって」

私の頭は、急に冷静になった。

「じゃ、寒いから戻る」

今考えれば、あの状況でよく部屋に戻る気になったなと思う。家族の迅速な対応を目の当たりにしたせいか、それとも祖父がとりあえず起き上がったからか、理由は分からないがとにかくその時の私は、もうここにいる意味は無いと感じたのだった。

とてもとても寒い夜だった。

 

その日から私は、よく夜中に目を覚ますようになった。

 

 

ある冬の日(2)

厭だなぁ、と思った。

自分の部屋のカーテンを開けたら、墓が見えた。ごく普通の感覚なら、厭だと思うのは普通なのだろうが、部屋がなんとなく薄暗いせいか、それとも少し古めかしいせいなのか、普通とは違う異質な嫌悪感が這い上ってきた。

「これで全部か」

振り向くと、文庫本が入った段ボール箱を抱えた祖父が立っていた。

「そうだね。ありがと」

「いやぁしかし、お前にこの部屋を使わせることになるなんてなぁ」

祖父は、どこの訛りかわからない言葉を使う。地方で農業をしている家に生まれた祖父は、その父、つまり私から見て曽祖父の仕事の関係で東京に移り住んだ。

程なくして、東京は火の海になった。

 

「部屋は気に入ったんだけど、このスタンドがちょっと光強すぎるんだよね」

祖父は座り込んで、段ボール箱の中の文庫本をパラパラとめくった。

「そうか、まぁ好きなのを買うといいさ。今はインターネットでなんでも買えるんだろ」

今では老若男女問わず、インターネットを使うことがステータスになりつつある。

祖父もスマートフォンを持っているのだから、自分で買い物をすればそれで済む話なのだろうが、本当に拘っているものを買う時は自分の目で見ないと気が済まないらしく、時折趣味に使う物を買いに出掛けていく。

気晴らしも兼ねて出掛けられるし、何より家に篭もりっきりでボケられたりでもしたら困るので、そういう意味ではとても良い習慣であると言えるだろう。

いずれにしても、しばらくはこの環境で過ごさなければならない。

 

スタンドを新しいものに交換した。

障子の隙間から漏れてくる冷気は、やっぱり少し気になる。

少し古いということもあって、この部屋にはエアコンがない。暖を取るために灯油ストーブを使うのだが、この交換がそれなりに面倒くさい。

2階から階段を降りて、裏口から外へ。刺すような12月の空気から一刻も早く逃れたい思いで、いそいそと灯油を注ぐ。そしてずっしりと重くなった灯油缶を、よろめきながら運ぶ。

さながら、軟弱な兵士が大砲の玉を運搬しているかのような恰好だ。

そんな足取りで運んでいるものだから、今日は部屋の入口の柱に、灯油缶を思いきりぶつけてしまった。柱には、小さな傷がついた。

怒られるほどのものでもないし、そんなことで怒られる歳でもないから多分大丈夫なのだろうが、一応家族には黙っておいた。

ともかく、この部屋での生活にも慣れた。

窓から見えるお墓も、日常の風景の一部になってしまえば、特に何も感じることもないし、WiFiの電波が弱いこと以外、この部屋に特に不満などなかった。

最初の頃この部屋に漂っていた祖父の整髪料の匂いも、いつしか私の生活臭の中に消えてしまっていた。

 

そして、祖父が倒れた。

 

 

 

 

ある冬の日(1)

あれは中学生の頃だっただろうか。

まだ実家は増築されていなかったから、私が高校生より前だったことははっきり覚えている。

高校生になり、私は部活のため遅くまで帰ってこないことが多くなった。

そして、生活リズムが他の家族と大きくズレるようになったので、半ば隔離されるように増築された部屋に追いやられたのである。

今思えば、それは家族なりの配慮だったのかもしれない。最初に増築を提案した祖父は、

「思ったより広い部屋だろ。お前の好きなように使っていいからな。しっかり勉強するんだぞ」

と嬉しそうに言っていたから、部屋の増築も、孫を甘やかすことの一部だったのかもしれない。

確かに、高校生は一般的に言えば多感な時期だし、一人になれる空間はほぼ必須のものであるだろう。

まぁ私は部活で外に出ていることがほとんどだったし、恋人を家に連れてくるようなこともなかったから、その部屋のありがたみが分かったのは、部活を引退して本格的に大学受験に向けて勉強を開始した辺りからだった。

そうだ、そういえばあの時も受験勉強をするために部屋を移ったのだった。

大学受験ではないから、高校受験の時か。つまり中学三年生の時ということになる。

部屋の布団がひどく重かったのを覚えているから、きっと冬だったのだろう。

思い出した。あれがあったのは、中学三年生の冬だ。

 

その頃の私は、自宅からほど近くにある高校への進学を考えていた。

父も母も、4つ上の姉もその高校に通っていたから、自分も人並みに勉強すれば合格するだろうと、そんなことをぼんやりと考えながら過ごしていた。

姉は塾に通っていたから、専ら受験勉強は塾の自習室に夜まで篭って行なっていた。家に帰ってくると、夕食から入浴を手早く済まし、さっさと寝て朝早く起きるというのが、姉の受験期の1日だった。

一方私は塾が嫌いだったので、殆ど家で勉強に励んでいた。励んでいた、と言っても大して努力はしていなかったのだが。

その時、私は自分の部屋を持っていなかった。いつもコタツのある客間兼居間を拠点に生活していた。

そんな私を見かねて、祖父は自分の部屋を私に譲ってくれた。

祖父は歳の割にアクティブな人で、趣味の将棋を指すために電車に揺られて少し遠くの街までよく出かけていった。

だから、仕事はしていなくても、昼間は家に居ないことが多く、祖父自身も自室の必要性をあまり感じていなかったのだと思う。

まぁ実際、私が使っていた部屋が客間だから、応接の時に邪魔になるというのが最たる理由だろう。

祖父母から一番若い弟まで、3世代7人が住んでいた実家は、それなりに大きい。

私が祖父から引き継いだ部屋は、2階に上がったとこから廊下を奥に進み、一番奥の部屋の手前に位置していた。

一番奥の部屋は元祖母の部屋、私が祖父の部屋を引き継いでからは、祖父母2人の部屋になった。

70歳を越えても2人は同じ部屋で寝られるのだから、祖父母は相当に仲が良いのだろう。

 

私物を祖父の部屋に運び込む。

自分の住む家ではあったが、あまり足を踏み入れたことのない部屋だったから、実際じっくりとこの部屋を見たのは、それが初めてだったかもしれない。

ゆっくり息を吸うと、畳の香りと、祖父が使っている整髪料の匂いがした。

六畳ほどの部屋に、文机と鏡台、そして一貫した和の様式に不釣り合いな最新型のテレビ、それが実用的な家具の全てだった。

物が少なく、さっぱりとした部屋だったが、唯一床の間付近には色々なものが置いてあった。

鯉が描かれている掛け軸、その上には大航海時代の世界地図のようなものが掛けられている。蹴込み床には、日本人形が複数佇んでいた。ある者はガラスケースの中に、ある者はそのまま置いてあったが、どれもしっかり手入れされていた。

部屋の出入口にあたる障子を閉める。僅かな隙間から、冬の冷たい空気が流れ込んでくる。さして気にするほどではない。

日当たりが良くないのか、照明が弱いのか、昼間だというのに部屋は少し薄暗かった。文机の上にスタンドがあったのでつけてみる。旧式のそれは、いかにも目に悪そうなギラギラしたオレンジの光を放った。

「このスタンドは替えないと勉強どころじゃないな」

そこで初めて、部屋のカーテンが閉まっていることに気がついた。

そういえばこの窓は、西日が差し込むから、いつも早い時間にカーテンを閉めていたのだった。まだそんな時間ではない。

勢いよくカーテンを開け、階下の景色を眺める。

そこには小さな墓が、見えた。

 

 

東京

人壁、そこに無理矢理ギターケースを滑り込ませる。かなり強引に押し込んだ。邪魔なのは分かっている。視線が、舌打ちが、ギターケースと、それを持つ私に向けられていることも分かっている。

しかし、それを跳ね除ける強かさと、最大限周りに配慮する謙虚さが無ければ、私は家路につくことが出来ない。

土曜日、22時を回った中央線は人で溢れかえっている。人々の熱気と、車内の冷房が綯交ぜになった不快な空気。背後からきつい香水の匂いがするが、首を回して確認することもできない。

窓の外を流れているはずの街並みは全く見えず、眼前には水色のワイシャツが立ちはだかっている。

上京して3年目。「東京の人は冷たい」という聞き飽きた常套句。住んでみても、別段冷たい人が多いとも感じたことはないし、むしろこの2年は、「出会い」という面において、かなり恵まれた期間だったとさえ思う。

話していて楽しい、一緒にどこかに遊びに行けるのが楽しい、悩みなんかを相談できる・・・

友人と知り合いのボーダーラインは人によって様々だが、大方このあたりをクリアしていれば友人として認識できるのではないだろうか。

そう考えると、より深い場所まで付き合える友人というのは、ここ最近で増えたように感じる。

ほろ酔いで火照った耳に、イヤホンの音漏れがシャカシャカと響いた。

友人ができたということ、それはごく普通の事なのかもしれない。というか、小学生や中学生までは、友人ができない方がおかしいのだと思っていた。

学校の先生からは、一人でいる子は積極的にみんなの輪に入れるように言われた。私は、その子が本当に一人を望んでいるのだったらどうするのだろうと、つくづく思っていた。

周りには同年代の子どもがたくさんいる。騒がしい子も、大人しい子も居るし、外で遊ぶことが好きな子も、本を読むのが好きな子も居る。

コミュニケーションなんて取ろうと思えばいくらでも取れるのだから、こっちから仲間の輪に入れなくてもいいのだと思っていた。

私は今まで、別段嫌いな人も居かなったし、話しにくい人も居なかった。

話すことがあれば話しかける。話しかけれられれば、すんなりと会話し、楽しければ笑った。誘われれば遊ぶし、避けられているなら空気を察した。

全員に平等とはいかないまでも、贔屓とか差別とか、そんなことはした記憶が無い。

だから、友達なんて、すんなりできるものとばかり思っていた。

 

電車が最寄りの駅に着く。開いたドアから、初夏にしては少し蒸し暑い風が入ってきた。ホームから階段を駆け下りて、改札を出る。深夜といえど、土曜日の夜だからなのか、駅付近にはかなりの数の人が蠢いていた。

ふと思った。コミュニティに入れられていたから、友達が出来ていたのではないかと。少なくとも高校までは、学校や部活といった、比較的狭いコミュニティの中に押し込まれて生活していた。だから、関わる人は最小限、ただしその関わりは濃密だった。

人間は、生きている限り少なくとも1つ以上のコミュニティに属している。現実世界でもネットでも、必ずコミュニティには属しているはずだ。ということは、高校生まではそのコミュニティの数が少ないか、あるいはコミュニティに属することが半ば強制的であったのではないだろうか。

大学生になって、自分に合う友人が増えたのは、自ら属するコミュニティを選択できるようになったからではないだろうか。

逆に、友達ができにくくなったのは、コミュニティの選択肢が増えたからではないだろうか。商売の世界でも、選択肢が多い商品は売れないというらしい。であるならば、私は自由に選択できるがために枷をはめられたということになる。

駅から少し離れてきた。人影はまばらになり、小さな川の流れる音ばかりが聞こえる。私は、人の多い場所よりこっちの方が性に合っている。

そういえば・・・

私は他人と平等に接するのは無理だとずっと思っていたのだった。小学生の頃、定期的に行われていた訳の分からないアンケートにも、「あなたはクラスのみんなに平等に接していますか」という質問には、全て「いいえ」と答えていたのだった。

性格はどこまでいっても変わらない。私の人間関係はほかの誰のせいでもなく、自分が作り上げたものに他ならない。

 

 

 

継・嫉妬しますよ、その文才。

嫉妬とは醜い感情である。

しかしながら、嫉妬とは時に凄まじい力を持つ。私がこうして言葉を紡いでいるのも、単にその嫉妬のおかげである。

かといって、この言葉を紡ぐ行為自体が素晴らしいものかと言えば、それは甚だ疑問である。

要するに自己満である。

しかし、人間は自己を満足させるために努力をするのであって、自己満が一概に悪いとは言えない。

さて、予てから私の嫉妬の対象は素晴らしい文章である。

人間は言葉を使って物事を考えるという。数字にしても図形にしても、考えるという行為には言葉は必須のツールである。

「人間は考える葦である」という言葉に倣えば、人間の本質とは考えることである。

人間の本質が考えることであるならば、必須のツールである言葉を上手く扱える者の方が、人間としての完成度が高いということである。

少々乱暴な結論だが、私の嫉妬の理由を説明するのにはぴったりである。

言葉の優劣をそのまま人間の優劣だと、私は心のどこかでそう思ってしまっているのではないだろうか。

 

最近、自分が素晴らしいと思う文章ではなくとも、自分が好意を寄せる人物が素晴らしいと評した文章に対して激しい嫉妬を覚えるようになってしまった。

自分の方を認めてほしいと、そう思っている醜い嫉妬である。

それがあるから、言葉におこそうとする気が湧いてくる。それは事実。それは事実なのだが、なんとなく虚しいものである。

 

それでも、私は言葉から逃げられないのである。

プレゼント

十二月に入ると、途端に街は騒がしくなる。絶えず流れるクリスマスソング。一層大きくなる客引きの声。駅前にはイルミネーションが設置され、様々な色の電球が煌びやかに輝いている。
 久しぶりに訪れた新宿は、冬とはいえやっぱり嫌な臭いが漂っていた。人混みが苦手な私は、普段目的もなく街中に出かけることはない。今日も、友人に誘われなければ、何もせず家に籠っていたことだろう。それほどまで億劫な外出だが、別段断る理由もないし、何だかんだ言ってたまに街中に繰り出すのも悪くないと思ったのもあって、寝不足の顔もそのままに友人に付いていったのである。
 彼女への誕生日プレゼントを買うのだという彼は、黒いロングコートにグレーのストールを巻いており、落ち着いていながらも若々しく見える。彼の端正な顔立ちもその雰囲気を作るのに一役買っているだろう。不意に出てきたあくびを噛み殺す。
「なあ、誕生日とクリスマスのプレゼント、一緒にせんのか」
 対して私は、ダボついた厚手のパーカーといういで立ちである。少し大きめのサイズを好む私は、傍から見ればファッションに興味がないように見えるだろう。だが、私は私なりのこだわりをもっているのだ。
「それやると、あっちが怒るから」                
 彼は少し楽しそうにそう答えた。恋人ができると金を使うようになるというが、なるほどこういう事かと、今更ながらに思った。私みたいな感覚で生きている者がいるから、世の中の女性の憂いは消えないのだろう。
 人混みをかき分け、次々に商品を吟味していく彼に辟易しつつ、私は後を追う。「アドバイスをくれ」と言っておきながら、自分でプレゼントを探すことに熱中しているようで、少し目をはなすとすぐに何処かに消えてしまうのだった。その度、他の客に肩を擦りながら歩き回って彼を探すのだが、とうの彼は「これどう思う」と、私とはぐれたことさえも気づいていないようである。
 三時間くらい経っただろうか、ワインレッドのバッグを抱えた店員の後に、彼が続いた。代金を払い終え、安堵した表情を浮かべる彼を見て、彼にはここまで真剣になれるような人が居るのだなぁと、改めて思った。
 別に羨ましくはない、別に妬ましくもない。ただ、少しだけ寂しくなった。      

列だ。長い長い列だ。十一月も半ばを過ぎ、静かな冬の空気が漸く東京にも訪れた。地元の片田舎なら、とっくのとうに一面霜が降りている時期である。その煤竹色の田畑が広がる風景と、一年中ネオンが光り輝く都会との違いに、眩暈さえ覚えるようである。
とは言ったものの、冬は確実に街を侵食していて、裸になった街路樹がその事実を教えてくれる。冷たい風に乗って、アコースティックギターの音色が響いてくる。
列は、寒さに震えるかのように、小刻みに振動していた。並ぶ人たちの息遣いや、小さな囁き声が共鳴しあい、あたかもお経のようにつらつらと流れている。
基本的に、私は都会が嫌いな人間である。汗やら香水やら煙草やらの臭いにまみれた人混みを歩くのも嫌いだし、都会特有の騒々しさも苦手だった。都会にはろくなものがない。人工的な光で彩られて、ふんぞり返るように立ち並んでいる建物たちには、微塵も温かみが感じられない。これならば、明かり一つない田舎の夜の方が幾分か優しさを感じられるというものである。だから普段私は、新宿や渋谷なんかの都会中の都会には、極力出かけないようにしている。
ただ、列だけは別物である。私はそれを美しいとさえ思う。列に並んでいる人々は各々に思うところがある筈だ。楽しそうにお喋りする親子や、ヘッドフォンをしてあらぬ方向を見つめている若者や、苛ついたような表情で、列の先頭をしきりに確認する中年のスーツ姿たちが、一つの目的のために束ねられている。その光景を美しいと言わずして、なにを美しいと言おうか。彼らは、列の先にある目的と、一握りのモラルに雁字搦めにされて、一定時間ごとに僅かに前進するという茫漠たる時間を、その一筋の中で消費している。その規則正しさは、もはや芸術の域である。
その列を冷ややかに横目で見ながら、私は足を速める。列は鑑賞するからこそいいものである。自らあんな退屈で無駄な時間を食い潰すだけの存在に身を投じるなんてことは、愚の骨頂とさえ思う。
改札を過ぎ、ホームへの階段を登りきると、また新たな列が見えてきた。
黒いコートが無数に出たり入ったりする光景は、やはり美しさを内包している。彼らは、すれ違いざまに小さな摩擦を生じ、それは各々の心に溜まった澱に火を点ける。だから、常に彼らの表情は険しい。しかしながら、それをあざ笑うかのように、列の動きはこの上なく滑らかだ。列に宿る見えない力が、一人また一人と心の火をもみ消していく。全く美しく、それでいて滑稽だ。
私は、列の最後尾に付き、イヤホンを耳に詰めた。