ことばの海

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染みつく。

名前の横に五桁の数字をサインする。これにより私は、人生の中の貴重な数時間を削り取って、労働という行為に身を投じることになる。
「こんばんは。今日も一日よろしくお願いします。」
 何度目だろう。決まりきった挨拶は、相も変わらず口から零れ落ちていく。習慣というのは怖いもので、作業のほとんどは深く考えなくても反射的にこなせるようになっている。それは時間の流れと経験の蓄積の産物だ。銀色のトングを鉄板に滑り込ませる微妙な角度も、トマトを小さな角切りにするときの力加減も、全てが費やしてきた時間の賜物だ。

 大学に入り一人暮らしというものを始めて思うことがある。時間の大切さ、である。バイトなんて行きたくなければ行かないという選択肢だってあるのだ。勿論それは、自分で稼がなくても生活が成り立つという大前提あってのことだが。その点では最大限バックアップしてくれている家族に最大限の感謝を送らねばならない。今日も単調な作業の繰り返し。仕切りに入れられているコーンの黄色は、飽きるほど見慣れてしまった。コーンだから黄色なのか、或いは黄色だからコーンなのか分からなくなって、思考が占領されて、オーダーミスをした。きっとこの店の床には、いつか割れた皿で指を切った私の血が染み込んでいる。
 だから、ますますこの時間が勿体ないもののように思えてしまう。学ぶことがないわけではない。しかし自分の本能が、欲望がそれを否定する。人間は欲望によって突き動かされる。仮に無欲でありたいと願い行動したとしても、一方で理想の自分を目指したいという欲望により自分が生きているという証明になる。これを私は、この世界の絶対的な真理だと信じて疑わない。であるならば、自分がやりたいと思うことを実行したほうがその物事に対する力の入り具合が良いのではないだろうか。それだけで生きて行けるなんて思っていない。それでもやりたいことがある。それは罪なことだろうか。
働き始めて一年ほどが経つこの店。今日もキッチンには吸い込み慣れた油の匂いが染みついている。家に帰ってもその匂いは、私の服にしがみついてやってくる。その服を引き剝がし、洗濯機に放り込む。シャワーを浴びてようやくその匂いが消えて、家に帰って来た実感が湧いてくる。これから私は何をして生きていこうか。シャンプーの香りをバスタオルでかき混ぜながら考える。自由な環境に近づけば近づくほど、自分が一体何に縛られているのか分かってくる。グラスに水を注ぎ、一気に飲み干す。その冷たさに一瞬咽そうになる。ふと、あの油の匂いが鼻を掠めた。もしかするともう既に、私の骨の芯までその匂いが取り憑いているのかもしれない。                      

出会ってしまった芸術

突き刺すような鋭い音が鼓膜を襲う。閉鎖された暗く狭い箱の中。人々の叫び声。汗はあふれ出て留まることを知らず、滴が鎖骨まで滑り落ちる感覚を、確かに私の肌は感じ取った。六本の弦の上を、彼女の細い指が踊る。その指はあまりにか弱くて、自らがかき鳴らす音の重さに耐えかねて、今にも折れそうに軋みながらも辛うじてその形を保っている。

 

ずっと思っていた。音楽というものに関われないか、と。高校生までの私は、野球というスポーツだけに打ち込む生活を送っていた。音楽や文学に関しては、常に受け手側の立場だった。しかしながら、逆の立場になってみたいと思わなかったわけではない。時間さえ、時間さえあればと思いながらも、それでも野球は捨てられずにいた。

 

力強いドラムの音が地面を揺らす。やがてそれは私の足元から骨を伝い、肺の中の空気を振動させる。何度同じような場所に立っただろうか。しかし今は聴き手側としての自分だけがいるわけではない。黒く艶のあるベースのボディーが、照明を反射して一瞬閃いた。思わず目を瞑る。何かを為そうとすれば、同じ道を進む者との競争は避けて通れない。新しいことを始めたら、その分の劣等感を味わうことになる。そんなこと、とうの昔に嫌というほど深く刻み込まれたのに、それでも私は何かに縋っていたいのだ。しかしなぜだろう、この人たちからは、今までに感じたことのないものを感じる。自分が行動するための意思、それを後押ししているようだ。

 

曲がサビに差し掛かり、音圧の見えない壁が私を押しつぶす。目に映るもの、耳に聴こえるもの、肌で感じるもの、全てが絶妙な均衡を保っている。私は思ったのである。自分が音楽を奏でる側に立ったことが、この感情の根源にあるものだと。だからこそ、ここに立っている人たちと、自分との諸々の差が、圧倒的な音圧となって私を押しつぶすのだ。音楽だけではない。文学に於いてだって、自分が本当に憧れるモノは常に自分の中の越えなければならない壁となる。それに気づくことができたのは、やはり人との出会いなのだろう。

アウトロがしっとりとした余韻を湛えて、時間の上を滑っていく。刹那すら惜しい、まるで戦慄がそう言っているように聴こえる。鮮やかでいて、少し煤けたような色をしたライトが消えるのを見つめ、私は扉を開けた。出口ではなく入り口の、である。

何故書くのか。

白い球体は地を這うようにこちらに向かってきた。それは小さな砂の粒を弾き飛ばし、不意に飛び上がった。体が無意識に反応し、身構える。刹那、左肩に衝撃が走る。痛みは感じない。今、この痛みは感じる必要のないものだからだ。私の体に当たったボールは地面に落下してなお、弱々しく回転している。右手でそれを掴み、無駄のない動きで勢いよく放る。青空が見えたが、私はその青空を感じることは出来なかった。今、その青空は感じる必要のないものだからだ。左肩の痛みが、忘れていたように訪れた。よくよく考えてみるとこの一瞬の光景も、後から思い返すことによって感じることのできたもののような気がする。人間は目に見えていたとしても、あるいは耳で聞いたとしても、それに向き合わなければそれらを感じることができないのではないだろうかと考える。何か一つのことにしか感覚というものは向けられないように思う。音楽を聴くとき、ヴォーカルの歌声に集中しているとベースの音色が耳に入ってこないというようなことである。よく通る道の見慣れた風景も、飲みなれた水が喉を流れる感覚も、全て意図して感じようとしなければ特に意味も持たず過ぎていく。私は高校まで野球というスポーツに打ち込んできた。思えば野球というスポーツの中にも数えきれないほどの映像、音、匂いやら諸々が存在する筈なのだ。しかしそれらを明確に捉えることができたのは、或いはこれを書き起こしている今のような気がする。沢山の物事が存在するこの世界で、沢山の物事を感じずに生きていくのは非常に勿体ないことだと思うのである。さて、小説とは複数の感覚が同時に表れる場所でもある。普段なら何気なく過ぎてしまうような感覚も、文字に起こすことで共感することができるようになる。言葉を読むことで過ぎ去った感覚に浸ることができるからだろうか。であるならば、小説を書くには今まで見過ごしていた感覚と向き合うことが必要になる筈だ。きっとその程度のことでも世界とは広がるものなのだ。ならば私は物書きをしよう。白球を捕らえたときの手の痺れも、用具小屋の錆と湿った黴の混ざった匂いも、こうやって文字にすることで全ての感覚が鮮明に思い出される。きっとこれからも小説を書こうとするならば、自分の感覚と真摯に向き合っていくことになる。それは殆どの人が忘れていることだが、同時にかけがえのないものでもある。書くこととは、書くこと自体以外にも目を向けることが大切だ。事実、この一年で私の見る景色は大きく変わったと実感している。そして常に違う景色を見たいからこそ、私は書き続けたい。今までの私はそうして形作られている。

AKG20周年記念 『春』

私がその風変わりな少女と初めて出会ったのは、とある病院の中庭だった。

「この花は、何という花ですか。」

それが彼女の発した最初の言葉だった。

私は出版社に勤務している。昔から書き物をすることが好きで、いつかは小説家になりたいと思っていた。いや、今でも思っている。諦めなければ夢は叶う、なんて今ではこれっぽっちも思っていない。だが、諦めたら未来永劫その夢は叶わない。これは動かしがたい真実だ。だから望みのない夢でも縋り付くしかない。それでしか今の私は生きられない。自分よりずっと若い奴らが書いた小説をリライトするたび、何故にこれ程まで人間には才能の格差があるのだろうかと考えてしまう。

アネモネキンポウゲ科、イチリンソウ属の多年草。和名は牡丹一花、花一華、紅花翁草などで・・・」

少女の目が見開かれ、じっと私を見つめる。その表情には、僅かに驚きの色が窺いしれた。

しまった。誰もそこまで聞いてはいないではないか。また自分の悪い癖が出てしまったことに幻滅を覚える。これだから私の小説は面白くないのだ。余計なことを、要らぬ知識を盛り込むから文が濁る。

「双子葉類だ・・・よ。」

反射的に学校で習うことなら共感が得られるだろうと、双子葉類という言葉を加えた。且つ、堅い説明口調は距離を感じさせてしまうと思い、少し語尾を変化させてみた。我ながら最高に滑稽な状態になってしまった。最悪だ。これではただの変なオヤジではないか。少女は少し目を細めて、「詳しいんですね。」と笑った。心なしか嬉しそうに見える。こんな見ず知らずの男に花の名前を聞いて何が嬉しいのだろうか。いや、それとも単に馬鹿にしているだけなのだろうか。

「他に、他にこの花について知っていることはありますか。」

少女が半歩私に近づく。まるで犯人を探している刑事のように、少女の目は私を捉えて離さない。この花についての情報を一滴でも逃すまいと、全身で私が発する言葉に聞き耳を立てているようだ。赤い花が風で少し揺れた。私の言葉で、上手く届けば良いが・・・。

「語源はギリシア語で風を意味するアネモスから、稀にアドニスと呼ばれることがあるが、これはギリシア神話に登場する美少年アドニスが流した血から・・・」

何なのだろう。この少女は。何故か自分が追い詰められているような気がしてならない。この時間が永遠に続くのではないか。そんなぼんやりとした考えが、徐々に頭を支配していく。このまま時間は凄いスピードで流れていって、背中の影が伸びきってそれはやがて夜の向こうに掻き消されていくのだろう。呑まれるな。頭の中の病みきった妄想。それを拒むように私は大きく深呼吸をした。

「そして・・・毒があるんだ。」

私は、この花に関する最後の情報を少女に伝えた。厭になるほど長い時間だったように感じる。

春風に混じって、救急車のサイレンの音が聞こえた。

 

 

 

少女は画家になるのが夢だという。少し離れた、所謂田舎と呼ばれる場所から、ある程度名の通った絵画教室に通っているらしい。

少女は好奇心の塊だった。良い絵をかくためには、被写体についてできるだけ深く知ることが大切なのだと言った。だから、描きたいと思ったモノについては、その全てを知るくらいの興味を掻き立てられるらしい。それは私にとっての小説に似ている。書こうと思ったら、書くモノについてできるだけ深く知ろうと思うものだ。知って書いて、また更に知ろうと思える。何かを書くとはそういう事だと思っていたが、どうやら描くということも本質的には近しいものらしい。

「絵は平面でも、描かれているものには信じられない程の厚みがあるんです。それを描けるか描けないか。私は、私はそれを描きたいんです。」

少女は絵を描くということに対して、気持ち悪くなるほど真っ直ぐだった。少女の心の羅針盤は、寸分も震えることなくキャンバスに向かっているのだろう。私はなぜ少女がそれほどまでに絵を描くということに執着するのか、その訳を知りたくなった。そして知りたくなったから、書きたくなった。書きたくなったから知りたくなった。だからきっと、その風変わりな少女とはまた会うことになるのだろう。

中庭の噴水に留まっている烏が、嗄れた一声をあげると、雲の影が少女だけを覆った。

 

かくして、私はその少女と出会った。アネモネの咲く春に。

 

 

ー続ー

 

「目」【参】

生暖かい風が強く吹き付ける。地下鉄のホームは無機質で、それでいていやらしい程に生臭い。人という生き物から滲み出た諸々の滓や芥が、この薄暗い空間に溜まっているのだ。毎日の通学には、この地下鉄と最寄り駅へと繋がる線を使う。大学はわりと都会の方にあるのだが、下宿先は少し離れた都会と田舎の中間のような場所にある。こんなことなら早めのうちに下宿先を決めておけば良かったと何度も思ったが、そもそも進学が決まった時期が遅かったため、大学の近くのいい物件は殆ど埋まっていたのが現状だった。更に言うならば、第一志望の大学に合格すれば早かったのだ。思い出してみるがそれはもう一年前の事で、当時は相当悔しかったはずなのに、今では不思議と諦めに似た感情だけが取り残されている。細長いホームの奥の方では、並んで歩いているカップルに行く手を阻まれているサラリーマンの姿があった。

車両の中は妙に湿っぽくて、窓は薄らと曇っている。仕事帰りと思しきOLがうつらうつらしていると思えば、受験生らしき制服姿の少年が参考書を読み込んでいる。向かいに座っている男は、「よく分かる企業経営」という本を読んでいた。まだ二十代くらいだというのに意識の高いことだな、と思う。ふと彼の履いている革靴の先に、小さな引っかき傷の様なものがあるのが目についた。

人間が最も外部から情報を得ることが出来るのは視覚だと、芳賀は思う。生きている中で、一体どれだけの視覚情報を人間は得ているのだろうか。地下鉄の列車の中。そんな細長い箱の中だけでも、隅々まで見渡せば脳の処理が追いつかない程の情報を得ることが出来る。問題は目から入ってくる情報は、多すぎるが故に情報という扱いを受けないということである。目に映る全てのものに対して、何かを受け取ろうと考えを巡らせば、一日中その場所から動くことは出来ないだろう。人間は視覚情報の大部分を「自分には必要の無いもの」として捨て去ることによって生きている。聴覚情報も同じだろう。味覚や嗅覚は情報として受け取る割合が多いように感じる。自分が無意識のうちに捨て去っていたモノ全て、その全てをしっかりと見ることが出来たら、あるいはこの世界はもっと最高で、もっと最低なものなのかもしれない。

さて、その男の靴の引っかき傷は何故できたものなのだろうか。飼い猫に引っかかれて出来たものなのかもしれない。あるいは何処かで躓いた時に擦ってしまったものなのかもしれない。今自分の目に映っているこの小さな引っかき傷からは、無限の想像が生み出されている。頭の中をありもしない、もしくは存在するかもしれない無数の光景が這い回って消えていった。もしかしたら、想像とは目に映ったものの延長線上にあるものなのかもしれない。ならば色々なものをこの目で見ておく、ということは非常に意味を持つものなのではないだろうか。

 

気がつくと芳賀は最寄り駅のホームに立っていた。生臭さはない。閑散とした場所だからだろうか。少し迷ってから、芳賀は地上へと続く階段を一段飛ばしで駆け上がった。世界はやっぱり白黒で、林檎は相変わらず真っ赤だった。見慣れた街並みに少しずつ着色していく。見える。様々な色が芳賀の脳裏に浮かんだ。でも、その風景の中の林檎は、不貞腐れたようにくすんでいた。風が、コートの裾を弾いた。

取り敢えず今は、家に帰らなければならない。

年末年始奮闘記 2

温泉旅館に来たのなら、まずは温泉に入るべきである。これは殆ど動かすことのできない道理だろう。何故なら、温泉が嫌いなら温泉旅館に来る必要が無いからである。突き詰めるならば、温泉に入りたいからこそ温泉旅館に宿泊するのだ、と言っても過言ではない。かくいう私は、温泉というものが嫌いである。いや、厳密に言うならば温泉旅館の温泉が嫌いだ。それは、自分ではない他人が存在するからに他ならない。何故好き好んで他人の裸体を拝まなければならないのだろうか。いや、真に嫌悪すべきなのはそこではない。見ず知らずの人が、同じ液体の中に一緒に浸かる。このことが私は耐えられなかった。

「じゃ、俺は先に行ってるよ。」

彼は手早く浴衣に着替えると、嬉しそうに部屋を出ていった。彼は温泉が好きなのだ。

独り部屋に取り残されたが、彼は決して私に冷たいわけではないと分かっていたから、寂しくはなかった。こういう時はひとりにした方がいいということを、彼は分かっているのだ。私もそうしてくれてありがたいと思っている。だが、そんな彼も私が温泉旅館が嫌いだということには気づけなかったようである。別に気づかないなら気づかないでいいのだ。

他人と付き合っている以上、どちらかが何かを我慢しなくてはいけない瞬間は必ず訪れる。普段は私のわがままを通してもらっている。これくらい我慢するのが当然なのだ。散々に言ってしまったが、温泉自体は嫌いではない。問題は温泉というものは得てして自分以外の他人が一緒に入浴するものであるという点に尽きる。潔癖という訳ではない。自分ではない誰かの身体など、今まで何に触れてきたか知る由もない。そんな得体の知れないものが、同じ湯に滲み出ているのだ。そんなもの、耐えられるはずがない。これを世間一般には潔癖というのだろうか。潔癖でなくても気になるものではないのだろうか。そんなことを考えながら、それでもせっかく来たのだからと大浴場へ向かい、そして結局後悔した。

 

夕食はありがちなバイキング形式だった。和洋中と様々な種類の料理が並べられ、その前には人々が群がっていた。

「人、多いね・・・」

まぁ旅館の規模からしてしょうがないよね、と彼は苦笑いする。まぁ仕方のないことなのだ。分かってはいるのだが、元来人混みが嫌いな自分にとっては不快感を煽るものに他ならない。コンセプトのバラバラな料理もなんとなく気に食わなかった。そういえば部屋も畳とカーペットの両方が敷いてあったっけ・・・そんなことを考えていると、不満だけが溜まってしまう。そんなのは嫌なのだ。嫌だから、とりあえずまだマシだと思う料理をできるだけ詰め込んだ。彼は「よく食べるね」と笑ってくれる。それがせめてもの救いだろう。

 

夕食後、彼はもう一度あの嫌悪すべき液体に浸かりに行ったようだった。私は特にすることもなく、読みかけの小説を黙々と読んでいた。部屋の中は妙に暑く、堪らず窓際に置かれた椅子に移動した。冬の冷たさが、窓越しに伝わってくるの感じながら、私は時間を忘れて読み耽った。

彼が戻ってくると、いつもの取り留めのない会話が始まった。正直、この時間は楽しい。もちろん不満が消えたわけではなかったが、何も気にすることなくこの時間を楽しめるという空間をもつことができただけでも、来た甲斐があったと思ってしまう。不意に、彼の背後に掛けられている写真に目が止まった。写真は物々しい額縁に入れられていたが、それが僅かに傾いているのが感じ取れた。今まで溜め込んでいた何かが溢れ出して、私は少し笑ってしまった。これか。きっとこういう事なのだ。自分が抱えている不満や不安などは、この僅かに傾いた額縁のように、殆どの人からは気づいてもらうことなどできないのだと。そして私も、誰かの不満や不安を、いくつも見過ごしながら生きているのだと。彼は嬉しそうな顔をして、私を見つめてくる。

「さて・・・」

彼はたっぷりと間をとった。

 

 

気がつくと年は明けていた。部屋の時計の針が、ぴったりと重なって、そして離れ始めていく。彼との話が終わったあとからずっと、私は小説を読み続けていた。相変わらず窓は冷気を放っている。それはカーテンを通り抜けて、直に私を刺してくる。

「次はもっと人がいないところにする・・・」

既に寝たものと思っていた彼が呟く。それが新年初めての彼の言葉だった。返事をしようと首を捻るが、既に彼は深い眠りについたようだった。小説はありきたりなハッピーエンドを迎え、結ばれた二人はこの先の困難も知らず、能天気に笑い合っていた。

ふと、喉の奥に鈍痛を感じた。近いうち、きっと私は病熱にうなされるだろう。

 

 

ー終ー

 

 

本年も宜しくお願い申し上げます。

                                                           漱之介。

AKG20周年記念作品のお知らせ。

私の敬愛するバンド、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが結成二十周年を迎えました。テンションが上がってしまったので、アジカンにまつわるワードを出来るだけ使って、短編を書こうと思い至りました。最後までお付き合い頂ければ幸いです。