ことばの海

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年末年始奮闘記 1

山間の道を車で進んでいくと、目的の建物がそびえ立っていた。冬の山々は殺風景で、これで雪でも降っていれば多少絵になるのだろうが、あいにく暖冬のせいなのか今シーズンは一度降ったきりである。遠くを見渡すと、丁度幼稚園児が無造作に作った砂山のように、地味な色をした大きさの不揃いなそれらは枯れたように佇んでいる。

さて、私がなぜそんな場所へ向かったのかというと、ひとえにそこが温泉街であるからにほかならない。他人と付き合うということは、その他人に縛られることに他ならない。私が、いや私たちがこの温泉街来たのも、彼が行きたがったからである。彼はきっとこの年の瀬に、私をどこかへ連れ出すことが良い事だと思っている。そして、私が基本的にアクティブではないことを知っていて、ゆっくりできる温泉旅館へ行くことを決めたのだろう。そのことは素直に嬉しい。私のことを考えて、何かをしてくれる人が近くにいるということは素晴らしいことだ。

目的の建物は、予想していたよりずっと大きかった。大概こういう場所は、どこかのリゾート経営会社がこういった大きくて小綺麗な建物を立てて、大人数が宿泊できる施設を作るものである。彼が予約してくれたのも、もれなくその系統に入るのだろう。十三階建ての本館と、五階建ての別館に分かれているその建物は、きっと多くの人たちを抱え込んで生きているのだろう。本館のエントランス前には、なかなかの大きさの噴水があり、大儀そうに絶えず青白い水を吹き出している。着物を着た従業員に通されてロビーへ入る。彼はチェックインの手続きのためにフロントへと向かった。その間私はこの館内を見渡してみる。床にはカーペットが敷かれており、休憩所のような場所には、派手なのか落ち着いているのかよく分からない色合いのソファーが所狭しと並んでいる。何か違和感を感じる。壁にかけられた油絵と、廊下の隅に置かれた灯篭を交互に見比べる。日本風なのか西洋風なのかよく分からない建物である。まぁ、得てしてこういう系統の建物はそのように装飾されている場合が多いのだが、私はそれに首を寝違えた時のような、解決することのない不満を抱えてしまうのだ。なかなか彼が戻って来ないと思えたことによって、私はここが人で溢れていることに気づく。彼はフロントに出来た列の、前から三人目だった。家族連れやカップル、老夫婦など様々な人間たちがこの温泉旅館に訪れているのだ。本来は人の少ない、山間部に位置したこの街だが、一つの建物にこれほど人が集まっているという事実に触れると、また私は少しだけ不満を溜め込むのだった。

ここには仲居さんの様な人はおらず自分で部屋まで行くのだ、とフロントから戻ってきた彼は言った。どこもかしこも人手不足なのだろうか、これほど人で溢れているのに。あるいは経営的にこれ以上人を雇うのは厳しいのかもしれない。広い廊下には、大きな窓がいくつも付いていて寒空を覗かせていた。なんの用途に使うのか分からないような場所に置かれている椅子が、寒空と相まって何となく冬の感じを醸し出していた。いや、全く冬とは関係ないのだけれども。エレベーター内には、各フロアにどのような施設があるのか書かれた案内板があった。角が剥がれかかったそれには、全くセンスの感じられない施設名がダラダラと漂っていた。一箇所だけ、白いテープが貼られて文字が読めなくなっている施設があった。私は何故か少し腹が立ち、そしてそれを剥がしたいという衝動が生まれた。その時、ガコンというエレベーターの音が生み出された衝動を殺した。どうやら目的の階に着いたらしい。彼はいつも私の隣を歩く時、私のことを考えてくれている。エスコートが上手い、というのが一番しっくりくるのだろうか。子どもっぽい性格をしておきながら、そういう所はしっかりしているのがずるいと思う。彼は私たちが泊まる部屋の番号を呟きながら歩き出す。

「こっちから行ったほうが近いって」

私は弾んだ声で彼に話しかけ、そして彼の左手を掴む。歩きながら、飾ってある写真の額縁が微妙に曲がっているのを見つける。私は、また不満を溜め込んだ。それが澱のように、少しずつ心に堆積されていくのを感じた。

 

 

ー続ー

「目」 【弍】

整然と並んだ林檎を見つめながら、芳賀は思う。林檎に最初に「林檎」という名前を与えた者は誰なのだろうか。考えたからといって、答えが見つかる訳ではない。正直、どうでもいいことである。バイト先でこのような事を考えて居るとは、ほかの誰も思うまい。なんとなくぼうっとしている、芳賀は周りから見ればその程度の男である。いや、自分でもまさにその通りだと思う。自分の属性を決定するのは、遍く他人からの評価が全てであり、いくら自分を自分の中にひた隠しにしたとしてそれが他人の目に映らなければ、隠した自分は最早自分ではないのだ。小説などでは、表面の自分とは別の自分をもっている人間が出てくる。彼らの内面は、読者という他人がいることで成り立っている訳で、やはり自分というものを測ることは、他人にしかできない事なのだろう。

「またボーッとしてる」

気がつくと林さんが近くに立っていた。

「あ、すいません」

林さんは、「ま、いつもの事だからね」と微笑む。目尻の皺が年齢を感じさせる。それでいて、常に活力に満ちている。林さんはそういう人である。最近は子どもが反抗期に差し掛かったらしく、休憩中によくそんな話をするのだが、「ほんと嫌になっちゃうよねー」と言うその時の顔は、どこか嬉しそうに映る。自分がこのスーパーで働き始めたときから、林さんにはお世話になっている。まぁどちらにしろ仕事なのだから、新人の教育は大事なことなのだが、丁寧に仕事を教えてくれる先輩というものは概ね後輩から好かれるものである。林さんの目はいつも優しい。そう見えるだけなのかもしれないが、喩えるならそれは母親の眼差しといったところだろう。ということは、林さんには自分がまだまだ子供に見えているということではないか、と自分で自分に突っ込む。いや、むしろ自分の半分の時間しかこの世に存在していない人間など、まだまだ子供のようなものなのかもしれない。ということは、少なくともこの日本では、人口の半分以上の人たちが自分たちの世代を子供だと思っているということになる。子供だと思われているうちは、大人と対等に関わることは出来ない。対等に関わることが出来ないというのに、どうしたら若者達が日本を変えていけるというのだろうか。人工的な冷たい空気が、首筋を撫でる。十二月の自分には、青果売場は少し寒すぎるようだ。

バイト終わりは林さんと同じ時間だった。これから家に帰って夕飯を作るのだろうかと思っていたら、今日は旦那さんが用意して待っていてくれるのだそうだ。

「なんか張り切っちゃってね。それでいて洗い物するのは私なのにね。」

やはり林さんはどことなく嬉しそうに見える。それほどまで自分は今、幸せではないのだろうか。考えたこともなかった。考えたところで、幸せなのか不幸なのか分かるわけもなかった。芳賀はただ、ただ日々を生きているだけだ。何となく会話が続かなくて、林さんに試験のことを話してみた。私じゃ何もアドバイス出来ないなーと言った後、少し考える素振りを見せた。

「うーん、でも自分で選んだ道だからね、頑張るしかないよ。」

また、あの目だ。その目が、その目が気に食わない。

帰りがけに林檎をひとつ買って、店を出る。夜の静けさと肌を刺すような冬の吐息が、店のすぐ手前まで迫っていた。道に出ると、風は更に強くなり、そこらじゅうの建物と擦り合って音をかなでている。帰り道にある公園には恐竜の形をした遊具が置かれていた。前足の端を街頭に照らされ、つまらなそうに佇んでいる。白黒の世界で、ビニール袋から取り出した林檎だけが赤かった。恐竜は、林檎を見つけると、ひと声だけ、物悲しげに鳴いた。

穴が、穴が怖いのです。

ええ、そうなんです。いつの頃からなのかは、すっかり忘れてしまったのですけど。

なぜ怖いのか・・・・・・そうですね。

例えば、世界の裏側で誰かが泣いていたとしても、私たちはそれを知る術はありませんよね。

一人でいるとき、もし自分の真後ろの空間から、世界が少しずつ滅びていったとしても、それを知る術はありませんよね。

見えていないところって、結局、自分の目で見えていない部分って、この世界に存在していないことと同じことのように思えるんです。

でも、全く見えていないのですから、気にする必要もまたありません。絶対に知ることが出来ないのですから、心配していても仕方がないのです。

え?それが穴とどう関係があるのか、ですか?

そう焦らないでください。

底の見えない穴を覗き込んでいる自分を想像してください。底が見えないということは、その部分は世界に存在していないことと同じ事なのです。底の見えない穴を覗き込むということは、世界に存在していない部分を見ようとしているのと同じことだと思いませんか。

見えないから気にすることは無い。でも、穴を、穴を覗いてしまったら、見えないはずの部分を見つめていることになると思うんです。

いつか排水口の奥から人の腕が出てくるかもしれない、壁に空いた穴から蛇が出てくるかもしれない、底の見えないほどゴミの溜まったゴミ箱から得体の知れない物音が聞こえるような気がする。

そう思うとね、夜も眠れないんですよ。

でもね、穴って覗きたくなるものなんですよね。もしかしたらね、覗き込んでいる方には何も見えなくても、覗かれている方には見えているかも知れませんよね。そうでしょう。だって、底の見えない穴の向こうを知る術はないのですから、何が起こっていても不思議はありませんよ。

ほら、ちょうどそこの障子に穴が空いていますね。だれか覗いているのかも知れませんよ。とは言っても、私たちにそれを知る術はないのですけれど。あなたも、常に誰かに覗かれているのかも知れませんよ。

 

そう言って彼女は、少し笑った。

続・嫉妬しますよ、その文才。

優れた文章とは、私にとって絶望である。

 

最近の若者は読書をしないという。確かに、様々な娯楽が手軽に楽しめるようになった世の中、わざわざ何時間もかけて紙の束を一枚一枚丁寧に剥がし、そこに書かれた文字の羅列を延々と読んでいくという作業に、万人が熱中する筈もない。

本とは、頁岩のようだと思う。薄い頁岩を剥がすと、そこに太古の生物たちの息吹が感じられる。それと同じように、本の頁には何者かの生命力が宿っている。だからこそ、作者が既に死んでいたとしても、現代の人々に影響を与え続けるのだろう。差し詰め、熱心な読書家とは考古学者のようなものだろう。剥がした頁岩のどんな生物に注目し、そして何を感じ取るか、それは読み手に委ねられる。だから、様々な考察や持論が出てくるのだ。

 

実に愉快ではないか。

 

最近の若者は読書をしないという。

しかし、現代日本にも、太古の生物たちに取り憑かれた大馬鹿者達が、少なからず生きている。彼らは、傍目から見れば生きながら死んでいるようなものである。何が楽しくて人生を送っているのか、何を目標にして生きているのか甚だ疑問である。それもそのはずである。彼らは何もない頁岩に生命力を吹き込もうとしているのだ。自らの生命力を、余すところなく注ぎ込んでいるのだ。

彼らは決して生き生きとはしていない。その分、彼らの文章には生命力がある。見るものに衝撃を与えるような、とんでもない生命力である。果たしてこれが同世代だろうか。私は常々思う。彼らは何も語らず、ほとんど動きもしない。しかし、文章が私を押し潰す。何が優れた文章であるか、そんなことは私にはよく分かっていないのかもしれない。一つ言えることは、この瞬間において、私は彼らの文章の生命力に押し潰され、更には私の命さえ否定されている。それも同世代に、あまつさえ歳下にである。私だけが見ている悪い夢だろうか。

恐らくは、そうなのだろう。私も、大馬鹿者の一人ということだろう。いや、悪いことに大馬鹿者になりきれない、中途半端な人間だ。そんな者が見る夢など、大した夢ではない。

 

優れた文章とは、私にとって絶望である。

 

冬と病熱

先日、私は喉を患いました。毎年のことなのですが、昼夜の寒暖差が激しくなるこの頃、喉を痛めては発熱するというお決まりのパターンがやってくるのです。

日曜日だというのに外に出かけもせず、日がな一日布団の中と自分の部屋の中だけで生活をしていました。「せきをしてもひとり」とはこのことだなぁと思いつつ、寒い部屋の中で毛布にくるまっておりました。

夜中になりまして、さぁ寝ようかと思いましたが、昼間たっぷりと睡眠をとってしまったせいか、全く眠くないのです。熱のある頭で狭い部屋にぽつんと座っていますと、ぼうっとしてきまして、ふわふわとした感覚になってまいります。自分がここに存在しているのか、それとも魂だけが漂っているのか判然としないような、どこかもどかしい気分になったのであります。外は恐らく冷たい風が吹いているでありましょうが、寝付けませんし、丸一日外に出ないというのも如何なものかと思いまして、簡単に防寒対策をして、耳にイヤホンを突っ込んで私は夜の街へ繰り出したのであります。

別段これといって目的は御座いませんから、普段ランニングをしているコースを逆からゆっくりと歩いておりました。平日の深夜、車の通りも少なく、そもそもあまり人通りのないコースを選んでおりますから、とても静かなものです。耳に入ってくるのは音楽だけ。夜を体現しているかのような、低いベースの音色が耳に残ります。

私は火照った頬に冷たい風が当たるのを感じるのです。そして、自分の内側と、外側の世界がしっかりと分かれ、おのおの存在しているという事実を認識するのです。或いは、吸い込んだ冷たい空気が、痛んだ喉や肺に入り込んでいって、なんとも言えない痛みを生み出す。それを体に感じることによって、私は生きているということを改めて実感するのであります。

冬という季節は、私の体の内にある熱と反発しあうことで、私は生というものを今一度確認しているのです。

 

「目」【壱】

芳賀俊介は憂鬱だった。明日が試験の日だったからだ。試験と名の付くものたちとは、高校でお別れするものとばかり思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしく、大学でも定期的に奴らの恐怖に晒されている。

芳賀は悩んでいた。なぜ悩むのかというと、それは今回の試験が単に学力を問うタイプの試験ではなく、創作の試験だからである。文学部不要論が吹き荒れる昨今、それでも文学部に縋りついて来る者は多く、明確な意思のある輩からただ何となく入学して来る輩まで多種多様な人物が芳賀の大学にも在籍している。そして、創作することを目的にしていない、楽に単位を取ろうとしているぬるい奴らの前に立ちはだかるのが、この創作の試験なのだ、と芳賀は思う。

「目」というお題に沿って自由創作する。これが今回の試験の内容だった。芳賀は生まれてこのかた文学的な何かを創作したことは一度たりとも無かった。文学部で創作の講義を取っているのだから、何かを創作するということは逃れることのできない宿命である。とはいうものの、技術も経験も、あまつさえ創作意欲もない芳賀にはそんな宿命を呪うことが精一杯で、級友たちが次々とアイディアを考えついているのをただ恨めしげに見ているのが現状である。何しろ惰性で文学部に入った男なのである。この講義を取ったのも、仲の良い友人が同じ講義を取ったことと、先輩から楽に単位を取れることを伝えられていたからだった。しかしながらこの芳賀、変なところで真面目な人物なのだ。せっかく創作をするのなら自分も文学部の端くれ、才能を感じさせる創作物を生み出し、いつも後ろの方の席で寝てばかりいる男の存在感を見せてやる、と決心した革命の時を芳賀は試験2日前の午後1時18分、学生食堂で迎えたのである。

しかし、アイディアなど浮かぶわけがない。何しろ時間が無さすぎる。いや、時間がないのは自分自身が前々から構成を練っていなかったことが悪いのだが、今となっては後の祭り、時間がないと嘆く他ない。そもそも「目」とは何なのだろうか。教授は目という漢字さえ使えば、それが網目の目であろうとも、碁盤の目であろうとも目次の目であろうとも良いと言っていた。芳賀にとっては「目」はそのままの目であり、ただ単に視覚を司る器官でしかない。目、目、目。目といえば金目鯛の煮付けは美味しいよなぁと、ふと思った。基本的に魚は好きだが、中でも金目鯛の煮付けは絶品だな、と芳賀は思う。金目鯛は目が金色なのだろうか、煮付けにされている彼しか見たことがないから分からない。煮付けにされた彼の目は白だ。というか魚の眼は何故白になるのだろうか。死ぬからだろうか。いや、それなら鮮魚コーナーのサンマやらアジやらの目も白目でしかるべきだ。熱を加えるとそうなるのだろうか。不思議だ。それにしても金目鯛の煮付けは何故あんなに美味しいのだろうか…

「おい、どうした。死んだ魚のような目をして」

突然、天から聞き覚えのある声が降り注いだ。死んだ魚?えっと、それってつまり…

「に、煮付けですか?」

「はぁ?」

声の主は同じサッカーのサークルに所属している先輩、塚原だった。そうだ、違う違う。魚のことを聞きたいんじゃない、自分のことだ。

「俺、白目剥いてました?」

「…芳賀、お前大丈夫か?」

そうだ。死んだ魚のような目とは、覇気がなく、生気を感じられない目のことを表す語句であって、何も焼き魚や煮魚のような白目を指すものではない。

「あ、いや、すいません。考え事してて。」

「なんか思い詰めてたぞ。恋の悩みか?好きなコできたのか?」

塚原はテーブルの向かいの席に座り、身を乗り出して聞いてきた。どうして恋の話になると人は嬉々として話に入ってくるのだろう。一種の娯楽なのだろうか。それでいて恋が成就した暁にはリア充爆発しろ、と言われるのだから想い人などいない方が良いのではないかと思ってしまう。ましてやこの先輩は所謂スピーカーだ。この人に恋の悩みなど相談したら、次の日には大学の全員がそのことを知られ、ネット上にはまとめサイトが作られ、次の試験には芳賀の好きな人は誰でしょう、という設問が加えられると言っても過言ではない…さすがに過言だ。まぁ、今の悩みは恋の悩みなどではないのだから、恐れることは何もない。

「いや、今度創作の試験があって。アイディアが思いつかないんですよね。」

「そうか。何かお題とか形式とかないのか?」

「目っていう漢字に沿って書くという条件の他は、全部自由ですね。」

 塚原の顔から興味の色が失われていくのがありありと見えた。興味がないなら話題に乗ってこなければ良いのに。「俺には分からねぇわ」とひとこと言ってくれればそれで良いのに。何故話に乗ってくるのか。先輩とは後輩の相談に乗るものだ、とでも思っているのかもしれない。そうに違いない。塚原は良くも悪くも後輩の面倒をよく見る先輩だ。悪くいえば後輩への絡みがしつこい。そういうのが好きな後輩もいるが、嫌いな後輩だっているのだ。芳賀は、嫌いな後輩だった。先輩は先輩で、しっかり後輩の面倒は見るべきだとは思うが、それはサークル内でのことであって、プライベートにまで口出しされては堪らない。サークル内だけに友達がいるわけではないし、先輩とだけつるんでいたいわけでもないのだから、後輩をやたらと飲みに誘うのはやめてほしい。まぁ、奢ってもらえるからその点は嬉しいが。とは言ったものの、芳賀は純粋にサッカーをしたいだけで、活動後の飲み会であったり、わちゃわちゃ集うだけの合宿であったり、ましてやプライベートでサークルのメンバーで遊びに行くなどということは求めていないのだ。求めていない者に無理やり押し付けるのは押し売りではないか。消費者庁に訴えねばなるまい。

「俺には創作はよくわかんねぇけどさ…」

出ました。「よくわかんねぇけどさ」よく分からないのなら分からないと言って欲しい。分からないなら分からないで別の、実りのある話題に切り替えればいい話なのだから。

「ほら、俺は経済学部だけどな。普段は見えない数字っていうのが目に見えると、意外と社会って面白いってわかるんだぜ。」

自分の専門分野に持っていこうというのか。創作には活かせそうもない話だが、興味はある。創作には活かせそうもない話だが。

「へぇ〜。もっと詳しく話してくださいよ!」

「なんつって、俺も専門家じゃねぇからな。目に見えないものが見えるようになったら、世界って面白くなるんじゃないかって思ってな。」

なるほど。それは一理あるかもしれない。目は見えるものしか見えないが、見えないものが目に見えるようになったら面白いはずだ。間違いなく、面白い。

「そういや芳賀、こんどのサークルの後に飲み会あるんだけど行くか?」

始まった。理想の先輩のポーズだ。塚原は「理想」が誰にとっての理想なのかもう一度考え直すべきだ。

「いや、試験も近いですし、遠慮しておきます。」

「そっかぁ、残念だなぁ。じゃあさ…」

まずい。全てを断り切るのは無理がある。ここは引き時だ。

「すいません先輩。バイトに遅れてしまうので失礼します。」

「ん、あぁ。頑張れよ」

苦手な先輩ではあるが、塚原は先輩だ。一応しっかりと、丁寧に挨拶しておく必要があるだろう。苦手な人物だからといって、邪険に扱ってはいけない。今よりもっと面倒臭い事になったら、それはそれで困る。ここは、丁寧に。思いっきり建前でいいのだ。これは本心ではない、建前だ。

「すいません。いつも相談に乗ってもらっちゃって。また何かあったら頼らせて頂くかもしれないです。じゃ、またサークルで。」

 

 

 

 

ー続ー