ことばの海

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勇者と鍛冶屋(3)

「やっぱり親父のようにはいかんかね」

ジリジリと蝉の声が五月蝿い。

俺は、先端が欠けた刀を、やりきれない想いで凝視した。

「はい、申し訳ないです」

固くにぎりしめた手は少し湿っていた。その湿り気がなぜか神経を逆立てる。

「いや、君のせいじゃあないよ。すまないね」

壮年の剣士は、そう言って床に目を落とした。

「本来、刀を盾替わりに使うこと自体が間違っているんだ。そうなっちまった時点で、あいつの力量がそこまでだってことさ」

親父の作る剣や刀は、斬れ味は勿論、その頑丈さにおいて右に出るものはなかった。

「俺にもっと技術があれば・・・」

剣士は、そっと自分の口に人差し指を当てた。

「おっと、それ以上言うのは相棒に対する侮辱と捉えるぜ」

俺は、何も言えずに頭を下げた。

 

剣士がカウンターに置いていった金貨に、なかなか手がつけられなくて夜が来た。

夜風は部屋にやって来ない。汗ばんだ服が肌に吸い付いてなんとも言えない不快感を覚えた。

蝉は、もう死んでしまったかのように静かだ。

「俺達は信じるしかねぇんだ。お前がこの街を背負って立つ鍛冶屋だからな」

そう言い残した剣士の言葉が、鉛のように気道を塞ぐ。

お代は結構ですから、といった俺に対し「仕事には見合った報酬を、だ」と無理矢理金貨を置いていったのだ。

ちょっと兜の修繕をしただけじゃないか。等価交換であるなら、俺は寧ろ片腕程度は差し出さねばなるまい。

「刀は、あいつの墓に一緒に埋めるさ。気に入ってたかなら、お前さんの刀」

なんであんなことを言うのだろう。そんな悲しそうな目で。

あの日から、俺は何百という剣や刀を作ってきた。それが生きる意味だった。そのおかげで、時には自分の技術に自信がついたこともあった。

しかし、その度に突きつけられる現実。親父との間に高くそびえる壁。武具を通じて浮かび上がる親父の面影に、憧れ、畏れ、取り憑かれたかのように鎚を振るった。

それでも届かなくて、俺の武具を使った人達が死んで、父が工房で鎚を振るう夢を何度も見た。

ランプの明かり一つだけの部屋は、今にも闇に食い尽くされてしまいそうだ。

結局、届かないのか。

「よぅ」

突然、店の扉が勢いよく開いた。

「お前はいつも急だな」

見慣れた勇者が、無遠慮に近づいてきた。

「また頼むわ」

 

「だから、毒鋼虫の類を斬ったあとはいつも以上に手入れしろって言っただろ」

勇者は、約束通り時々店にやってきた。

「血の酸性が強いんだっけ。でもお前の親父の剣なら大丈夫だろ」

大概、親父の剣を酷い状態にして持ち込んでくるので、その度に毎回強く言い聞かせるのだが、モノが良いからか、一度も致命的な損傷まで至ったことは無い。

こういうことがあるから、俺は苦しいんだ。

刃を砥石に当てながら、頬を伝う汗を感じていた。

「また思い詰めてんのかよ」

部屋の隅の暗がりから、勇者の声がする。

「うるせぇよ」

顎まで伝ってきた汗を服で拭う。繊維が髭に引っかかる。そういえばいつから髭、剃っていないんだろう。

勇者の声は闇を切り裂いて届く。

「親父さんだって、同じことで悩んでたんじゃないのか」

親父が・・・

虫の音が、弱々しく聞こえた。

「自分だけが悩んでると思うのは、それこそ思い上がりってやつだぜ」

そういえば親父は、時々ふらっと街を出ることがあった。花束で満載になった荷車を引いて。

俺が物心ついた時から、父は天才だった。ではその前は。自分の過去は語らない人だったから、推して知るしかない。

「なぁ」

俺は闇に向かって声をかけた。

「なんだよ」

どんな表情をしているのかは、ここからでは分からない。

「いつかお前に、俺の剣を握らせてみせるからな。覚悟しとけよ」

闇が、微かに笑ったように感じた。

「楽しみにしてるぜ」

夜はまだまだ明けそうにない。

虫の音は、先刻よりはっきり聴こえるようだ。

 

 

ー続ー

 

 

 

 

勇者と鍛冶屋(2)

工房から、鉄を打つ音が微かに聞こえる。

規則正しいリズム、俺がよく聞き慣れている音だった。もはや生活音と言っても過言ではないその音だが、自分の鼓動のリズムと微妙にずれていて、どことなく不快だった。

「なんで」

店には俺一人のはずだった。

店の奥に進み、ドアノブに手を掛け、ゆっくりと工房の扉を開ける。

鉄を打つ音がより強く響いてきた。

ハンマーを振り上げているその背中は、よく見慣れたそれだった。

「親父・・・」

 

俺は覚醒した。世界は、薄明かりの中から徐々に輪郭を取り戻しつつあった。

 

カンカンカンと、金槌の音が聞こえる。

「街の復興はどうだい」

あいつは、やっぱり勇者だった。

「お陰様で、もうすっかり目処がたったよ。勇者様」

あの日、彼は街を救った。それは街の人々の知るところとなり、「まさに勇者だ」と感謝と期待を込めて迎えられた。

「俺、そろそろ旅に出ようと思ってんだ」

剣の代金を持っていなかった彼は、その代わりとして数ヶ月間、街の防衛の任務に携わっていた。

彼の実力は本物だった。あれから街は何度かモンスターの小規模な襲撃を受けたが、その度に彼を中心とした兵士たちが退けたのだ。

「確かに。街はもう大丈夫だろ。安心して行ってこいよ」

東方の街を一人の少年が救ったという話は瞬く間に広まり、モンスターを狩って生計を立てているハンター達が、彼を仲間にすべく続々と街にやって来た。

結果的に、彼は誰とも組まずに、あくまで街の防衛のためにモンスターと戦った。しかしながら、集まったハンター達は各々に仲間を見つけ、この街を拠点に置いた。

そして、それを相手に商売を始める者が出ると、ハンター達はさらに集まり、増えた依頼を統括するためにギルドが設置された。

街は瞬く間に潤い、復興は大いに早まった。

今や昼はたくましいハンター達が、依頼を受けては街の人々に盛大に送り出され、夜は酒場で兵士やハンターや街の人々が杯を酌み交わすようになった。

街は確実に、以前よりも活気づいた。

「だな。兵士の統括は師団長のナントカっていう兄ちゃんに任せておけばいいしな」

モンスターの襲撃を多く受けること、そしてギルドが設置され、人材が豊富にあるということで、ついに中央政府からこの街は対モンスターの最前線都市の一つとして扱われるようになった。

王都から正規軍が派遣されると、そのリーダーとなる師団長がこの街の防衛を取り仕切ることになったのだ。師団長の指揮能力は高く、かの勇者も一目置いていた。

だから彼も、安心して旅立てることだろう。

「行ってこいよ」

「ああ、剣の手入れが必要になったら、また戻ってくるさ」

あの時と同じ色の斜陽が、勇者を照らす。心なしか、あの時より大人びて見える。

協会の塔の上、鴉が一声だけ鳴いて、飛び立って行った。

 

三日経って、勇者は旅立って行った。街中からの感謝と激励を受けて。

また新たな街を救いに行くらしい。

何故彼が、身を削って街を救おうとしていたのか。俺は興味が湧いて、旅立ちの日にそれとなく聞いてみた。

彼は一言だけ、自分の生まれた村の名前を口にした。

「だからだよ」

数年前、モンスターの襲撃を受けて廃村となった村の名前だった。

確か、生存者は一名だったと記憶している。

 

勇者を見送った後、俺はすぐさま店に戻った。

工房の扉を勢いよく開けた。

父の幻影は、未だ網膜に焼き付いて離れない。

 

「やってやる」

 

 

〜続〜

 

 

 

 

 

鍛冶屋と勇者(1)

雨が窓を叩く。掛け時計のチクタク音をかき消すような強い雨だ。今日は虫の音も、梟の鳴き声も聞こえない。

燭台の上に一本の蝋燭。それが、この部屋を照らす唯一の光源だ。あまりに弱々しく、か細い。

カウンターに突っ伏してみる。普段は木の温もりを感じられるそれも、今日は何故か冷ややかだった。顔を上げて、顎を腕に載せる。体が重い。伸びた髭が服に引っ掛って、そういえば最近髭を剃っていないことに気づく。

憂鬱、というのはきっとこんな感じなんだろうなぁと、ぼんやりと考えた。今まで生きてきて、これほどの喪失感を味わったことがあっただろうか。

薄ぼんやりした部屋の隅に、一振りの剣。ガラスケースの中に丁寧に収められたそれを、ちらと見る。美しい。

だからなんなんだ。

どうしようもなくなって、蝋燭の炎を吹き消した。そしてもう、何も見えなくなってしまった。

 

 

「一番いい剣をくれよ!!」

入口のドアを勢いよく開けた音と共に、よく通る声が店に響いた。

あいつと出会ったのは、それが最初だった。

「あ、あの」

蒸し暑い外気が室内に流れ込んでくる。

「あんたの店にすげーいい剣があるって聞いたんだよ!その剣を俺にくれよ!な!?」

入ってくるなり、そうまくし立てたそいつは、いかにも俺の嫌いな話の分からないタイプのガキ、という風貌だった。

ただ、そいつの頬には何があったのだろうか、随分昔に負ったと思しき十字傷が刻まれていた。

「お客さん、俺と同じくらいの歳だろ。お金、もってるのかよ」

「ない!」

少年は真っ直ぐに俺を見て、悪びれもせずにそう答えた。

その横顔を、斜陽の光がオレンジ色に照らす。

「あのなぁ」

そいつが言っている剣というのは、親父が鍛えたあの剣のことだろう。

「お金もないのに剣をくれ、だなんて、少し虫が良すぎるんじゃないか?」

父の腕は一流だった。

”剣は実際に使われてこそ価値がある”と父は常々言っていた。だから店に剣が置いてあることは殆ど無かった。そして父の名前は、その剣と共に各地へと伝わっていった。

そんな父が遺した剣は、いま店にある唯一の剣だった。

何故なら、俺の作る剣は父のそれの足元にも及ばない出来だからだ。

「俺は勇者だ。だからその剣が必要なんだ」

俺は思い切り店のカウンターを叩いた。

「お前が欲しいって言ってんのはな、この間のモンスターの襲撃で死んだ親父が鍛えた剣だ。俺にとって形見みたいな大事な剣を、金もねぇやつにおいそれと渡すわけねぇだろ!」

一気にそこまで、半ば叫ぶように怒鳴った。頭の中を血がドクドクと巡っているのが感じ取れた。熱い息が、閉じた口の隙間から漏れた。

自分でも、何故そんなに取り乱しているのか理解できなかった。ただ、あいつの佇まいや振る舞いから、よく分からない何かを感じ取ったのかもしれない。

顎先から汗が垂れ落ちた。蝉の鳴き声が、耳の中で何度もこだましている気がする。

「俺は勇者だ」

あいつは身じろぎ一つしないで、真っ直ぐこちらを見つめて言った。その瞳は純粋に澄んでいるようで、その奥には深淵が見えるようであった。

頭の中が混乱している。感情を整理しながら、ゆっくりと顎をさすった。にきびが少し痛んだ。

取り敢えず俺が口を開こうとした時、けたたましい音が街に響いた。モンスターの襲撃を知らせる鐘の音だ。父が命を賭して守った教会の、その塔の鐘だ。

「また来やがったのか」

窓の外を確認すると、逃げ惑う人々とそれに逆行するように向かっていく兵士たちが、混然一体となっている様が見えた。

前回の襲撃で、街の防御施設は甚大な損害を被った。その状態でまともに戦闘を展開できるかは、正直言って疑問だった。

「今回はさすがにまずいんじゃ…」

逃げ惑う人々、倒れ伏す兵士、人間の叫び声とモンスターの咆哮とが混ざり合う。あちこちで上る黒煙、崩れかけた家屋。街は、火薬と血の匂いで充満している。

そんな光景がフラッシュバックした。

「早く剣を俺に!」

そいつは、まだそこに居た。

「お前まだそんなこと言って…」

途端、そいつが俺の腕を掴んだ。少年の顔が、ぐっと近づく。

そいつの瞳は、相変わらず澄んでいて、それでいて深淵を湛えていた。

「俺とお前の親父の剣で、この街を救うんだよ!」

 

~続~

 

 

 

みきちゃん

「え?」

雨音で声が聞こえなかったから、僕は聞き返した。

「だから、今日一緒に遊ぼうよ」

嘘だ。

本当は聞こえていたけど、その時の僕には聞きたくなかった言葉だったから、諦めてくれないかなあと思ってもう一度聞き返したんだけど、やっぱりダメだった。

「やだよ、雨降ってるし」

元々今日は、かっちゃんとしゅんくんとで遊びに行く予定だったんだ。でもそれを言ってしまえば、仲間外れにされたと思って傷つくかもしれないし、もしかしたら怒るかもしれない。

そうなったら、面倒くさい。

「えー、でも」

空気読めよ、と思う。

ただでさえこの雨で、遊ぶのなんて無理かもしれないのに。

「こんなに雨降ってたら、行けるわけないじゃん」

そりゃ、車で送り迎えしてもらえる奴らはいいかもしれない。でもうちだってしゅんくんだって、自分で自転車を漕いで移動するしかないのだから、今日なんて遊べるわけないんだ。かっちゃんは、確かおじいちゃんが車で送り迎えしてくれていたっけ。そうだ、かっちゃんに電話して・・・

「じゃあ私が行くから」

そうじゃないだろ。

というか、三年生になっても女の子と遊んでいたら周りからどう見られるか。それ分かって言ってるのかよ。

「うーん。いや」

とにかく早く家に帰りたかった。びしょ濡れになった靴下を早く脱ぎたかったし、ランドセルの中のプリントも心配だった。

そもそも、傘が小さい。そりゃ子ども用の傘なのだから、小さいのは当たり前なのだが、自分の身体を雨から守ることは出来ても、ランドセルまで一緒にカバーするのは不可能だ。

ランドセルの中にはお母さんに見せなきゃいけなかったり、宿題のために使わなきゃいけないプリントなんかが入っている。濡らしてダメにして、結局怒られるのは雨じゃなくて僕なのだから、ランドセルを雨ざらしにする訳にはいかない。

そうやって、ランドセルの方だけを守るから、僕の身体はびしょ濡れである。尤も、こんなに激しい雨じゃランドセルの中身も分かったもんじゃない。だから早く帰りたい。自分の中の苛立ちが鎌首をもたげていた。

「でも、でもさ」

まだ言うか。

みきちゃんと一緒に帰る事になったのはいつからだっただろう。確か殺人事件が、いや、誘拐事件があって、それでだ。下校中、五年生の女の子が誘拐されて、そして結局殺されて見つかったんだ。ということは誘拐殺人事件だ。

「とにかく、今日は遊ばないよ」

学校では、すぐに登下校班が再編された。人数の少ない班は、近くの班と合併された。だから、みきちゃんと一緒に帰ることになったのは三年生になってからだ。

そんな事件があったけど、僕たちが住んでいるところからはそれなりに距離がある場所だったし、小学生が感知できる世界なんて自分が住んでいる街と、その街が属する市内くらいのもので、だから結局平和だった。

ビシャっと音がして、泥が脹脛に飛び散った。水溜りから、スニーカーの中にじわりと水が入り込んでくる。

「うーん」

長靴を履いてくればいい、と言ったらそれまでだが、朝はまだ雨なんて降っていかなったんだし、下校までに降るか降らないか微妙なところだったんだし、それで最初から長靴を履いてくるのは流石に馬鹿だろう。休み時間に校庭で遊びにくいし、クラスメイトにもからかわられる。なのでこのスニーカーの中の不快感は自分のせいなのだけど。

元はと言えば、このタイミングで降ってきた夕立が悪いのだし、というか、みきちゃんのことは気に食わなかったし。

なんだよ、その派手なピンクの傘。

「今日は遊べないよ。雨が降ってるからね」

僕はできるだけ優しく、でもはっきりとそう言った。

別に喧嘩する気はなかったし、かと言って一緒に遊ぶ気になんてなれなかった。鼻にかけてるんだ、こいつは。自分が少し可愛いからって、クラスで人気者だからって。

いや、それは単なる嫉妬なんだろう。みきちゃんはいい子なのは確かだ。

なんで一緒の帰り道なんだろう、と僕は思った。しかも途中からは二人きり、おまけにみきちゃんの方が家が先にあるから、僕にしてみればずっと一緒なわけだ。登下校班を再編なんてするから、こんなことになるんだ。

「わかった」

雨は止みそうになかったし、いい加減寒かったし、きっとみきちゃんだってそう思ってるだろう。

そうこうしてるうちに、ようやく僕の家の前までやってきた。ああ、早くランドセルの中身を確認しなくちゃ。もし濡れてたら、お母さんのドライヤーを使えば乾くかな。

「じゃあ・・・またね」

みきちゃんが手を振ったので、僕も手を振り返した。別に嫌いなわけじゃないんだよ、みきちゃん。

「バイバイ」

 

「一緒に遊ぼうよ」

またかよ。

雨音で微かにしか感じ取れなかったが、幾度となく聞いてきた科白だから、口の動きだけでも理解できた。というか、いつもそれしか言わないし。

僕はじっと彼女を見つめた。激しい夕立の中、しばらく静かに立っていた。いい革靴だから、あまり濡らしたくはないのだけど。

たしか、みきちゃんが見つかったのは十九年前の今日だった。あと何回、このやりとりを交わせば気が済むのだろう。

あの日から、みきちゃんがいない時が二年過ぎた。二年経って、みきちゃんはみきちゃんじゃなくなってて、知らない間に燃やされて、知らない間に埋められた。結局、犯人は捕まらなかった。死んだからだ。

夕立が降ったから、だからみきちゃんは今日も遊びに来たのだろう。

「今日は遊べないよ、雨が降ってるからね」

だから、結局、僕は一度もみきちゃんとは遊んでいない。

 

 

 

お題提供者:いづ様

お題:「夕立」

 

 

 

 

お知らせ

当ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

実は、前回の記事からとある試みを始めております。どなたからかお題を頂いて、それに沿って書いていく、という試みです。

つきましては、お題を提供してくださる方を募集しております。

記事にコメントして頂くか、Twitterアカウント→@Ariadne748にご連絡頂ければと思います。

 

お題はおひとり様1つまでとさせて頂きます。また、既に同じお題、近いお題をテーマとして記事を書いていたなどの場合、反映しないこともありますのでご了承ください。

 

これからもよろしくお願いします。

 

林檎

台風がやってきたから、少し昔のことを思い出した。

「だからぁ、絶対青林檎の方が美味しいんだって」

スーパーに買い物に出かけた時、「旬だから」とリンゴを籠に入れた私に、君は「買うなら青林檎だ」と言った。

「いや、それ何が違うのさ」

リンゴに拘りなんてなかったから、一番安いのを選んだ。青林檎は少し高いし、何より食べたことかなかったから、殊更選ぶこともない。

「まず香りが違うから」

陳列されている青林檎に、ぐっと顔を近づけしっかりと品定めしている。その瞳を、私は吸い寄せられるように見詰めた。

青果コーナーは、半袖の私には肌寒かった。君はいつものように長袖だったから、だから、ほんの少しイライラしていたのかもしれない。

「早く選んでよ。別にどれでもいいじゃん」

青林檎の山から、一つだけ取り出す。

「君のさ」

そこで君は言葉を切って、青林檎をカゴに入れた。

「そういうところが良くないよねぇ」

「ごめんね」

「気にしてない。カート、押すよ」

買い物カートを押す君のあとに続く。近くに貼ってあった貼り紙がふと目に入った。

「台風の影響でリンゴがたくさん落ちたから、今年は少し高くなってる、ってさ」

君は足を止め、その貼り紙を読むと「そっかー」と言ってまた歩き出した。

「リンゴもさ、可哀想だよねぇ」

不意に君が呟いた。

「どういうこと?」

「だってさ、わざわざそんな台風の時に実るから落ちちゃうわけでしょ」

まぁ、それはそうだけれども。リンゴだって、好きでその季節に実っているわけではあるまい。

「その時に実るしかなかったんじゃないの?」

或いは、種が落ちることで子孫を残すということまで考えると、寧ろその時期が一番好都合なのではないか。

「そんなの悲しすぎるよ」

私の言葉の本意を汲み取れなかったのか、君は少し寂しそうに言った。だから私も、これ以上その事に思考を巡らすことはしなかった。

結局、赤いリンゴはカゴに入ったまま精算された。後でアップルパイにでもすればいいか、と思って帰路についた。

 

アパートに帰ると、散らかった部屋が目に入る。ああ片付けておけばよかったな、と思うが到底無理な話だ。カレンダーすら2ヶ月前のままなのに、部屋だけ毎日綺麗にするなんて。

「しょうがないなぁ、片付けておくから、ご飯の用意よろしくね」

いつもの事のように、君がカレンダーをめくる。

「ごめん」

そう言って、私はハンドソープを泡立てた。

「仕事の書類、ちゃんと管理してないと大変だよ」

「わかってるって」

わかってる。わかってはいるのだけれど。

包丁を持つ私の手を、君が見ている。怖いのか、それとも心配なのか。いずれにしろ、そんな思いをさせてしまう私が悪い。私が悪いのだ。

「ご飯作ってる間に、お風呂入ってきなよ」

「うん。でも先に薬飲んじゃうね」

君が私に擦り寄るように近づいてきて、コップに水を注いだ。

その頃は、このまま君とふたりで朝を迎えられることに、その幸せに、私は溺れていたのだろう。

 

わかっていた。全部。わかりすぎているくらいに。

東京にいた頃の日々が懐かしい。もっとも、あそこは大嫌いだったが。

結局、都会は反吐が出るくらい肌に合わなくて、地元に戻ってきたのだ。

正直、少しだけ物足りなさを感じているのも事実だ。でも、あの頃に戻りたいとは思わない。

台風が去ったあとの空は、嘘みたいに青かった。せっかくだから、散歩してみるのもいいかもしれない。

わかっていた。君が長袖しか着ない理由も、毎日薬を飲まなくてはいけない理由も、私の部屋が散らかりっぱなしだった理由も、私が包丁を持ってはいけない理由も。

わかっていた。厭になるほどに。わかっていたからいけなかったんだ。結局、青林檎と赤いリンゴの違いは理解できなかったけど。

ドアを開けると、甘酸っぱい微かな匂いが鼻腔を撫でた。気のせいかもしれない。

そういえば、近くにリンゴ農家があったような気がする。いや、多分あるのだろう。

台風で落ちたのか。地面に落ちて潰れたリンゴを想像する。そう思ったら、甘酸っぱい匂いが、途端に不快だと感じた。散歩するのは、止めにしよう。

 

やっぱり君の言う通りだった。そんな時期に実るから悪かったんだ。でも、私たちにはその時期しかなかった。

あの時、あんな君と出会ったから惹かれたのだろうし、だから上手くいかなかったのだろうし、だから楽しかったし、苦しかったし、死にたくもなった。

昔も今も、結局、潰れた林檎を嘆くことしか、私たちにはできないのだ。

 

 

 

 

 

お題提供者:ふぃばろ様

お題:「林檎」

 

 

ある冬の日(終)

  朝、カーテンを開けると、外は一面の雪景色だった。

 昨日の夜は、久しぶりに目を覚まさなかった。それだけ深い眠りについていたということだろうか。

 受験勉強のストレスもそろそろピークに達しそうで、毎日自分の神経が石臼で挽かれているような気さえする。だから、よく眠れたことは良いことだった。

  視界の端に動くものを捉えて、私は墓を見た。

 誰かいる。

 人であることは間違いない。しゃがみ込んでいるが、ここからでは何をしているのかはっきりしたところまでは見えない。

 風体から何となく老人のような気がするが、肝心の顔は卒塔婆の向こう側だ。

 異質といえば何もかもが異質。

 朝日が雪に反射して、ジリジリと眼球を痛めつける。

 別段気にすることでもない、と私は思った。だから何だというのだろうか。

 とてもとても寒かったので、暖房の効いている台所へ向かって、階段を駆け下りる。

 目玉焼きの焼ける匂いがした。目玉焼きを作るのは専ら姉だ。

 そうか、今日は両親と祖母が旅行に行く日だった。

 父と母が元々立てていた旅行の予定と、祖母が参加しているお茶会のメンバーの旅行とが、たまたま重なってしまったのだった。

 幸い休みの日であるから、姉が家事全般をこなすことで何とかなるのだった。

 その日は、とても穏やかな一日だった。

 

 目を覚ますと、倒れた日本人形が現れた。

 「脅かさないでよ」

 そういえば、横になっているのは私の方だった。日本人形は静かに立っているだけだ。

 左を向いて寝た場合、目を覚ました瞬間、床の間の日本人形たちが目に入る。この部屋を使うようになってからしばらく経つが、まだこれには慣れないでいる。

 ましてや最近は夜中に目を覚ますことが多くなっているから、常夜灯の弱い光に照らされた着物姿を見なければいけなくなった。

 そんな彼や彼女は、今日も今日とて少し不気味だった。

 こんな時間に目を覚ますのは、今月でもう何度目だろう。そんなことを考えながら、電灯の紐を二回引っ張った。

 少し薄暗い。やはり電灯のせいなのだろうか。いつまでも古い型のものを使っているわけにはいかないか。

 ゆら、と障子に影が映った。

 隣は祖父母の部屋だから、そのどちらかだろうか。廊下の電気もつけずに危ないなぁと思った。

 影は、ぬるりと動いていく。

違う、祖母は今日は家に居ないのだ。

そう考えた私は、急に怖くなった。

 この前もこんな寒い夜だった。今もし祖父の身になにかあったら、私が対処しなければいけない。

 弟はまだ小さすぎる。姉は、きっと今度も呆然としているだろう。私が、私がすべてやらなければ。そうしなければ祖父は。

 急に怖くなったから、電気を消して布団に潜り込んだ。

 何も起こらなければいい。何も起こらなければ。

 

 寝覚めは最悪だった。

 結局何も起こらなかったのだが、ボロボロの神経を余計にすり減らせてしまった。

 人形は相変わらず微笑をたたえている。

 墓には、今朝は誰も居ないみたいだ。

 祖父に対して若干の罪悪感を感じていたから、昨日の夜のことをさりげなく聞こうかな、と新聞を広げている背中に声をかけようとした。

 「あ」

 そうか、障子に祖父の影は映らないんだ。

 

 祖父は今も健在である。