ことばの海

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弱小野球部の高校生活(1)

相場は夏と決まっている。何がって?そりゃ高校野球に決まっている。

日本中が熱狂する、あの高校野球である。

甲子園という舞台では、毎年幾多のドラマが生まれる。それは生まれるべくして生まれるドラマだ。俺たちのような者には程遠い、エキストラとしての出演すら許されないドラマだ。

「よし、次サードいくぞ」

カコンという子気味良い音が、春風に乗っていく。

ボールをよく見る、バウンドにリズムを合わせる。呼吸が、フットワークが、グローブを出すタイミングが、全ての歯車が噛み合う。

スローイングの瞬間、全神経はボールに回転をかけるために指先に集中する。その回転が空気を掻き分け掻き分け、綺麗な線を描いてファーストのミットに吸い込まれる。

この一連の動きを無駄なく行うためだけに、今まで何千時間と費やしてきたことだろう。そして、それはこれからも続いていく。

花粉症を患っているからか、目が少し痒い。薬が切れてきたかもしれない。でも、今はそんなことを気にしている暇はない。

 

目指すべきは、甲子園。それは夢のまた夢だ。というか、遠すぎて何だか霞んで見える。実感がない。

野球を始めて十年近くが経った。十年やっていれば、それなりに上手くなる。力がつく。技術も向上してくる。

それと同時に、自分に見限りがついてくる。どうしても越えられない壁はある。初めから持っている才能の違い、単純な体格の違い、もっと根本的な、野球に向き合う心持ちの違い。正直、その辺はどうやったって越えられない。

 

肩をぐるりと回す。重い。まぁ、それも仕方ない。

雷管の音が聞こえる。恐らく陸上部だろう。今は内野ノック中だから、グラウンド後方は陸上部が使っている。

大して成績も残していない野球部が、我が物顔でグラウンドを大きく使っているのには少し違和感があるが、それでもせっかく綺麗に整備したのにボールを取りにのそのそと入ってくるサッカー部の連中を見ると、つい声を荒らげてしまうので、結局俺も変なプライドを持っているということなのだろう。

「もういっちょサード行くぞ」

「お願いしゃす!」

カコン、という規則的な音。

何となく春は好きになれない。身体の全てが重い。暖かい陽気に、心までキレがなくなってくる。だからなんだと言うのだろう。

打球のバウンドが変わる。「あ」と思う間もなく、ボールはグラブの端を掠めていく。

「足が動いてねぇぞ、横倉ァ!」

監督の怒号が飛ぶ。

うっせぇな。

「もういっちょお願いしゃぁす!」

カコン。

見る、合わせる、捕る、投げる。全ての歯車が噛み合い、ファーストミットにボールは収まった。

そういえば、明日は英語の小テストがある。今日は何時に家に着くだろうと考えながら、帽子を被り直す。

風呂に入って、夕飯を食べて、テスト勉強をして諸々をこなして、きっと就寝までに日をまたぐことになるだろう。

「何やってんだ柴田ァ!」

セカンドの深いところの打球を処理した柴田の送球は、あらぬ方向へ流れていった。いわゆる、ボールが手につかないという状態で投げたのだろう。

「ほんと、何やってんだろうな」

 

 

 

ー続ー

 

勇者と鍛冶屋(終)

蝉の声が五月蝿い。

その五月蝿い鳴き声さえ吸い込んでしまいそうなほど、冷たく、そして静謐な色をした剣が一振り。

柄には、勇者の左手に刻まれたものと全く同じ紋が彫り込まれている。

鍛冶屋は、タオルで汗を拭いた。額から顎にかけて、ゆっくりと。

加齢による僅かな皺が、彼が歩んできた道のりを物語る。決して老いてはいない。しかし、確かに積み上げてきた技術と自信を、鎚に乗せて彼は腕を振るう。

鉄を打つ、規則的な音が工房内に響く。その度に、彼の脳は僅かに揺れる。

その揺れは、遠く過去の記憶を呼び覚ます。

かつて、彼の偉大な父親は言った。

「いいか、剣ってのはな、形が出来たら完成じゃねぇんだ。その剣に一番合ったやつが、柄を握って、そしてようやく完成なんだ」

その言葉に従えば、かの勇者と同じ紋を彫り込んだその剣は、永遠に完成することはないということになる。

何故なら、その剣は、かの勇者のためだけに作られたものだからだ。

 

 

 

「あ、いらっしゃいませ!」

花屋の娘が、人懐っこい笑みを浮かべて出迎えた。

「珍しいですね、鍛冶屋さんがお店に来るの」

煤で花を汚すことがないよう、綺麗な身なりに着替えてきたつもりだったが、この子の前だとなんとなく自分が汚れているように思う。多分、気の所為だが。

「そうだね。お母さんはいるかい?」

頻繁に打ち水をしているからか、それとも多少なりとも緑があるからか、真夏の太陽の下でもここは少し涼しく感じる。

「母なら今、お得意先の教会に花を届けに行ってるところです。今日は結婚式があるそうなので」

「そうか、いつ頃帰ってくるか分かるかい?」

誰のものとも分からない結婚式。こうやって、知らないところで誰かの幸せは紡がれていく。

「もうそろそろだと思いますよ」

「そうか、じゃ、ちょっと待たせてもらっていいかな?」

 

冷たいお茶を流し込む。胃にひんやりとした感覚が伝わって、そういえば今日はまだ何も食べていないと気づく。

「あ、今お茶菓子持ってきますね」

つくづく気が利く娘さんだ。主人である母親がいなくても、立派に店を切り盛りしている。

俺が同じくらいの歳の時は、剣を作ることすら放棄していたっけ。

「おやおや、珍しいお客さんだこと」

店の主が戻ってきたのだ。

「あ、すいませんお邪魔してます」

花屋の主人は、少しだけ目を細めた。

「なるほど、もうそんな時期かい。ちょっと待ってなね」

「あ、お母さんおかえりなさい!」

お盆を丁寧に運びながら、娘さんがやってきた。

「ただいま、店番ご苦労さま」

主人は、俺の花を持ってくるためか、そのまま店の奥へと消えていった。

出された茶菓子を頬張る。疲労の溜まった身体に、砂糖の甘さは嬉しい。

花の微かな香りが鼻腔をくすぐる。全く詳しくはないから、何の花かは知らないのだけれど。

「鍛冶屋さん、花が欲しいなんて、まさかいい女の人でも見つけたのー?」

突然のことに、お茶を吹きそうになる。

「あ、いや違うけど」

「ホントかなー?」

嗅ぎなれた花の香りが、ふわりと鼻を撫でた。

「あんた、また帳簿ちゃんと付けてないでしょ、早く付けてきなさい」

花束を抱えた主人が、部屋に戻ってきた。

「はーい、ごめんなさーい」

娘さんは悪戯っぽい笑みを浮かべて、主人と入れ替わるように店の奥に入っていった。

「ふぅ、あんたもあの子の言う通り、そろそろいい人見つけた方がいいんじゃないの?」

「いいんですよ僕は、剣と添い遂げますから」

主人は、手際よく花束にラッピングを施している。その手際も、何度も見てきた光景だ。

「律儀だね、まぁ、こうやって毎年来る時点であんたはそういう人ってことだものね」

綺麗に飾り付けられた花束が、目の前に差し出される。

「お代はいらないからね」

花屋の主人は、優しく微笑んだ。

「え、そんないつもいつも・・・」

彼女は、「何言ってんだい」と言って俺の背中を叩いた。

「何度も言ってるだろ、一年に一回しか来ないやつが遠慮してんじゃないよ」

まぁ、確かに大して高くもない花を買うだけなのだが。

「それに、アンタのおかげでこの街は随分有名になったもんさ。稀代の名工現る、ってね」

自分が何年も何年も一人で積み上げてきたと思っていたモノ。しかしそれは、いつの間にか色々な人々を巻き込んでいたようだ。

気が付けば、ここは鉄鋼の街として発展していた。

別に鉱脈を掘り当てたのは自分ではないし、加工技術だって、進んで広めたりした訳では無い。だから、自分が祭り上げられるのは何か違う気がするのだけれど。

「いつもありがとうございます」

花束を受け取り、日差しと蝉時雨が降り注ぐ屋外へと出る。

目的の場所へは、昼過ぎくらいには着くだろう。

 

つるりとした墓石に、自分の顔が映る。その顔に何となく父の面影を感じて、思わず笑ってしまう。

小高い丘の上、夏の熱気を流すように心地よい風が吹く。

勇者と私の間には、もはや言葉は要らない。

哀しみや喪失感なんてものは、とうの昔に置いてきた。常に時は動いていくから、自分だけ止まっている訳にはいかないのだ。

「しかし、お前のお墓はいつも綺麗だな」

墓前には、幾多の花束がたむけられていた。

勇者は私にとっても勇者だが、街の人々にとっても勇者なのだ。

しかし、丁度墓石の正面には、まるで避けられているかのようにぽっかりとスペースが空いている。毎年のことだ。

最後のピースを嵌めるように、赤い花束を丁寧に置く。

「まぁ、ほんとは赤なんて縁起じゃないのかもしれないけどな」

蝉の声は、少し遠くからやってくる。そのまま、日が傾くまでここにいようと思う。

今日は、私の他には誰もここにはやって来ないのだ。

 

 

「すいませーん!」

梟が鳴き始めた頃、ドアを叩く音が店に響いた。

聞きなれない少女の声だ。尤も、街の人ならば、今日は店がやっていないことは承知のはずだから、それもそのはずである。

「悪いけど、店は今日はやってないんだ。看板も出てるだろ」

今日くらい、店のことは考えずに過ごしたい。そんな思いから、扉も開けずにぶっきらぼうに答えてしまった。

ちょっと悪い事をしたかな・・・

「あ、あの。お店じゃなくて、人を探してて」

人探しなら、こんな街外れに来るのはおかしい。

「ここは、有名な鍛冶屋さんのお店ですよね」

俺に、用があるのか。

「今開ける、ちょっと待っててくれ」

燭台に火をつけ、鍵を開ける。

灯りに照らされた少女は、青い瞳をしていた。

「まぁ、とりあえず入りな」

少女は真夏だというのに、緋色の外套を羽織り、手袋をはめていた。

聞いたところによると、ずっと西の砂の都近くの村から来たらしい。

「私の村が、モンスターの大規模な襲撃を受けていて。だから、助けてくれる人を探していて、それで・・・」

栗毛色の美しい髪の先は、少し傷んでいるように見える。

「よく君みたいな女の子に旅をさせたな、まだ十代半ばくらいだろ」

「私がやらなければいけないことだから。私が村を守らないと」

自分の膝の先を見つめながら、弱々しく答える彼女の、その手は少し震えていた。

「と言ったって、俺は鍛冶屋だ、戦えるわけじゃないぜ。なんで俺のところに・・・」

言葉尻を攫うように、少女が答えた。

「あの人がここに居るって聞いたから」

青い目が真っ直ぐにこちらを捉えている。

「この紋に見覚えないですか!?」

少女は、左手の手袋を外した。

ああ、そういえばアイツは生まれながらにして勇者となるべくして生き、俺は生まれながらにして鍛冶屋となるべくして生き、そして彼女は生まれながらにして村を守る宿命を背負っているのだろう。

濡れた頬を拭う。

みんなそうだ。みんな、何かに縛られて、枷をはめられて生きている。それでも、その中で精一杯抗いながら生きている。

少女の力強い瞳が、かの勇者の面影に重なる。

「お前の探してるやつなら、そこに居るぜ」

ガラスケースの中の剣を指差す。

不思議そうな顔をしている彼女に、続けざまに言葉を投げかける。

「お前と俺の剣で、お前の村を救うんだよ!」

 

西の都の砂の村。若い女剣士と、名工と謳われたある鍛冶屋の活躍が、長く語り継がれる事になるのだが、それは少し、先のお話。

 

 

勇者と鍛冶屋 ー終ー

 

お題提供者:るー様

お題:「面影」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勇者と鍛冶屋(4)

「だーっ!お前またこんな状態になるまで放っておいて」

勇者の剣に、刃こぼれは付き物らしい。

彼の鼻の頭は赤かった。今日は、今年一番の大雪だ。

「いや、研ぐ機会がなくてさ。しかもその剣、ちょっと癖があるだろ」

勇者は、暖炉の前のソファに寝転がった。

ソファが軋む。部屋にその音が響く。天の神の憂さ晴らしかと思うほど強く降る雪だが、それでもやっぱり雪は静かに降るものらしい。

「まぁ、研ぎにくいのは確かだ」

いつのことだったか、異国の軍人が、こういうふうに静かに降る雪の様子を「しんしん」と表現するのだと言っていた。いい言葉だな、と思う。

「だろ、ってことはお前に頼むのが一番いいじゃん」

彼は濡れた靴を脱ぎ、素足を暖炉にかざした。

「とりあえず、着替えてきたらどうだ。風呂も一応沸かしてある」

「悪いなー」と言うや否や、勇者はさっさっと風呂場へと消えていく。

勝手知ったる他人の家、というのはこういうことを言うのだろうなぁと思いつつも、彼の遠慮のなさには少々辟易する。

まぁ、勇者っていうのはそんなもんか。

勝手に引き出しを開けられたり、壺を割られたりするよりはずっとマシだ。

「着替えは左上の棚だぞ」

そう叫ぶと、返事の代わりに風呂場の入口から、親指を立てた手が覗いた。

 

この剣をこうやって研ぐのは、もう何度目のことだろう。

親父はこの剣だけのために、特別なマニュアルを用意していた。それはきっと、この剣が自分が死んでからも使い物になるようにという配慮からで、つまり、この剣はそれだけ長年の使用に堪えるだけの代物であるということだ。

「こいつは扱いが難しいからな、お前が手入れするのは十年早い」

その親父の言葉を思い出す度、果たして自分はこの剣の持つ力を最大限まで引き出せているのか不安になる。

自分なりに努力は積み重ねてきたつもりだ。技術も随分向上した。

だからといって、この思いは拭えない。

でも、もうそんなことは関係ないんだ。

暖炉の薪が、バチッと爆ぜた。

「ふぅ・・・」

最後の仕上げを終え、刀身を丁寧に拭く。

薄暗い工房の中、揺らめく炎を写した刀身は、何度見ても吸い込まれそうなほど美しい。

 

ここ十年ほど、俺は俺しか作れない武具を見つけようと足掻いていた。

親父の面影を追うんじゃない。自分がどうしたいのかを常々考えてきた。

洗面台で顔を洗う。鏡の前には、随分と老けた自分の顔がある。どうやら婚期は逃しそうだ。でもネガティブなことだけじゃない。俺の顔がこうなるまで、俺はこの工房で鉄を打ち続けてきたんだ。まだ目は生気を失っちゃいない。

そして、やっとアイツに握らせるに値する剣の完成が、もうすぐそこまで来ている。

 

「いやーさっぱりしたわ」

工房を出たちょうどその時、湿気とともに彼が姿を現した。まだ若さの残る顔を、タオルでゴシゴシと拭っている。

「ほい」

彼は、滴の浮いたビール瓶を二本提げていた。

「一杯やろうぜ」

童顔の勇者が五つも歳下だったと知ったのは、俺が二十歳になった時、祝いの席で彼が酒に手をつけなかったからだった。

「いや、俺まだ飲めないから・・・」と目を逸らす勇者はどこか可愛げがあった。

俺はため息混じりに答えた。

「毎回言ってるけどな、それ売り物だからな」

 

「今度はどのくらいこっちに居るんだ」

窓の外では、相変わらず雪が降り続いている。

「一週間くらいかな。そしたら今度は、南の方に行ってみる」

三本目のビールを飲み干した彼は、少し眠たそうに目を擦った。

「そうか、じゃあそれまでに防具の方も調整しておけばいいな」

「マントも新調してくれると助かる」

思えば、彼が身につけているものは殆ど俺が作ったものだ。

肩幅が合わないからと、オーダーメイドで作った鎧も、「勇者っぽいから」という理由で好んで使用している防刃マントも全てだ。

逆に、俺と彼とを繋ぐものはそれだけだ。

「もう一本くれよ」

彼がとろんとした目で左手を伸ばす。

「やめとけ、疲れてるんだからもう寝た方がいいぞ」

「なんだよケチかよ」と言いながら、彼は暖炉の炎に目を向けた。

 

その彼の左手の甲には、赤い紋が刻まれている。数年前、どこかの村を救った時に受け取った紋らしい。

「いやー、なんかこの紋はその村の護り手の家系に受け継がれるヤツらしいんだけどな」と話していた彼を覚えている。

その家系は、代々火の精霊を操る魔法を扱う家系で、その紋は絶対に外に出てはいけない代物らしい。

「でな、その日、その家に後継者が生まれたってことで、村はお祭りだったんだよ」

その夜、村は魔物たちの襲撃に遭った。

「護り手の当主がそれで死んじゃってさ」

勇者は、見ず知らずの人間のために、夜通し戦った。そして、村と、産まれたばかりの後継者の赤ん坊を護り抜いた。

夜が明け、朝日が照らしたのは、満身創痍の勇者と無数のモンスターの屍だった。

「で、そのお礼ってことで、先代当主からこの紋を貰ったってわけ」

多分、彼の生い立ちがそうさせたのだろう。

 

勇者は、出掛けた先で、いつも誰かとの強い繋がりを作っている。

ここで暮らさないかと誘われたこともあれば、王様に召し抱えられそうになったこともある。求婚もされたことがあるらしい。

そんな話を、俺はアイツが戻ってきた時に聞かされる。

彼は凄い。きっと俺なんかより何倍も凄い。人を惹きつける力もあるし、その人たちを護るだけの力もある。

その度に思う。アイツは何故ここに執着するのだろうか。

彼は相変わらず揺らめく炎を見つめている。

ソファの上で微睡みの淵を彷徨う勇者に問いかける。

「なんでお前、いつもここに戻ってくるんだよ」

彼は何も答えず、毛布にくるまってしまった。

「しょうがねぇな。やっぱ疲れてるじゃねぇか」

空き瓶を片付けようとした時、微かに彼が呟いた。

「あのな」

「あ?」

短い沈黙を、薪がパチパチと弾ける音だけが埋める。

「俺の家は、ここしかないんだ」

呆然。

気がつくと、勇者は寝息をたてていた。

 

ああ。そんなこともっと早く気づいていれば良かったのに。

工房の扉を開け、使い慣れた鎚に手を伸ばす。

親父も、こんな気持ちで鎚を振るっていたのだろうか。

雪は、明け方には止んでいた。

 

 

ー続ー

 

 

勇者と鍛冶屋(3)

「やっぱり親父のようにはいかんかね」

ジリジリと蝉の声が五月蝿い。

俺は、先端が欠けた刀を、やりきれない想いで凝視した。

「はい、申し訳ないです」

固くにぎりしめた手は少し湿っていた。その湿り気がなぜか神経を逆立てる。

「いや、君のせいじゃあないよ。すまないね」

壮年の剣士は、そう言って床に目を落とした。

「本来、刀を盾替わりに使うこと自体が間違っているんだ。そうなっちまった時点で、あいつの力量がそこまでだってことさ」

親父の作る剣や刀は、斬れ味は勿論、その頑丈さにおいて右に出るものはなかった。

「俺にもっと技術があれば・・・」

剣士は、そっと自分の口に人差し指を当てた。

「おっと、それ以上言うのは相棒に対する侮辱と捉えるぜ」

俺は、何も言えずに頭を下げた。

 

剣士がカウンターに置いていった金貨に、なかなか手がつけられなくて夜が来た。

夜風は部屋にやって来ない。汗ばんだ服が肌に吸い付いてなんとも言えない不快感を覚えた。

蝉は、もう死んでしまったかのように静かだ。

「俺達は信じるしかねぇんだ。お前がこの街を背負って立つ鍛冶屋だからな」

そう言い残した剣士の言葉が、鉛のように気道を塞ぐ。

お代は結構ですから、といった俺に対し「仕事には見合った報酬を、だ」と無理矢理金貨を置いていったのだ。

ちょっと兜の修繕をしただけじゃないか。等価交換であるなら、俺は寧ろ片腕程度は差し出さねばなるまい。

「刀は、あいつの墓に一緒に埋めるさ。気に入ってたかなら、お前さんの刀」

なんであんなことを言うのだろう。そんな悲しそうな目で。

あの日から、俺は何百という剣や刀を作ってきた。それが生きる意味だった。そのおかげで、時には自分の技術に自信がついたこともあった。

しかし、その度に突きつけられる現実。親父との間に高くそびえる壁。武具を通じて浮かび上がる親父の面影に、憧れ、畏れ、取り憑かれたかのように鎚を振るった。

それでも届かなくて、俺の武具を使った人達が死んで、父が工房で鎚を振るう夢を何度も見た。

ランプの明かり一つだけの部屋は、今にも闇に食い尽くされてしまいそうだ。

結局、届かないのか。

「よぅ」

突然、店の扉が勢いよく開いた。

「お前はいつも急だな」

見慣れた勇者が、無遠慮に近づいてきた。

「また頼むわ」

 

「だから、毒鋼虫の類を斬ったあとはいつも以上に手入れしろって言っただろ」

勇者は、約束通り時々店にやってきた。

「血の酸性が強いんだっけ。でもお前の親父の剣なら大丈夫だろ」

大概、親父の剣を酷い状態にして持ち込んでくるので、その度に毎回強く言い聞かせるのだが、モノが良いからか、一度も致命的な損傷まで至ったことは無い。

こういうことがあるから、俺は苦しいんだ。

刃を砥石に当てながら、頬を伝う汗を感じていた。

「また思い詰めてんのかよ」

部屋の隅の暗がりから、勇者の声がする。

「うるせぇよ」

顎まで伝ってきた汗を服で拭う。繊維が髭に引っかかる。そういえばいつから髭、剃っていないんだろう。

勇者の声は闇を切り裂いて届く。

「親父さんだって、同じことで悩んでたんじゃないのか」

親父が・・・

虫の音が、弱々しく聞こえた。

「自分だけが悩んでると思うのは、それこそ思い上がりってやつだぜ」

そういえば親父は、時々ふらっと街を出ることがあった。花束で満載になった荷車を引いて。

俺が物心ついた時から、父は天才だった。ではその前は。自分の過去は語らない人だったから、推して知るしかない。

「なぁ」

俺は闇に向かって声をかけた。

「なんだよ」

どんな表情をしているのかは、ここからでは分からない。

「いつかお前に、俺の剣を握らせてみせるからな。覚悟しとけよ」

闇が、微かに笑ったように感じた。

「楽しみにしてるぜ」

夜はまだまだ明けそうにない。

虫の音は、先刻よりはっきり聴こえるようだ。

 

 

ー続ー

 

 

 

 

勇者と鍛冶屋(2)

工房から、鉄を打つ音が微かに聞こえる。

規則正しいリズム、俺がよく聞き慣れている音だった。もはや生活音と言っても過言ではないその音だが、自分の鼓動のリズムと微妙にずれていて、どことなく不快だった。

「なんで」

店には俺一人のはずだった。

店の奥に進み、ドアノブに手を掛け、ゆっくりと工房の扉を開ける。

鉄を打つ音がより強く響いてきた。

ハンマーを振り上げているその背中は、よく見慣れたそれだった。

「親父・・・」

 

俺は覚醒した。世界は、薄明かりの中から徐々に輪郭を取り戻しつつあった。

 

カンカンカンと、金槌の音が聞こえる。

「街の復興はどうだい」

あいつは、やっぱり勇者だった。

「お陰様で、もうすっかり目処がたったよ。勇者様」

あの日、彼は街を救った。それは街の人々の知るところとなり、「まさに勇者だ」と感謝と期待を込めて迎えられた。

「俺、そろそろ旅に出ようと思ってんだ」

剣の代金を持っていなかった彼は、その代わりとして数ヶ月間、街の防衛の任務に携わっていた。

彼の実力は本物だった。あれから街は何度かモンスターの小規模な襲撃を受けたが、その度に彼を中心とした兵士たちが退けたのだ。

「確かに。街はもう大丈夫だろ。安心して行ってこいよ」

東方の街を一人の少年が救ったという話は瞬く間に広まり、モンスターを狩って生計を立てているハンター達が、彼を仲間にすべく続々と街にやって来た。

結果的に、彼は誰とも組まずに、あくまで街の防衛のためにモンスターと戦った。しかしながら、集まったハンター達は各々に仲間を見つけ、この街を拠点に置いた。

そして、それを相手に商売を始める者が出ると、ハンター達はさらに集まり、増えた依頼を統括するためにギルドが設置された。

街は瞬く間に潤い、復興は大いに早まった。

今や昼はたくましいハンター達が、依頼を受けては街の人々に盛大に送り出され、夜は酒場で兵士やハンターや街の人々が杯を酌み交わすようになった。

街は確実に、以前よりも活気づいた。

「だな。兵士の統括は師団長のナントカっていう兄ちゃんに任せておけばいいしな」

モンスターの襲撃を多く受けること、そしてギルドが設置され、人材が豊富にあるということで、ついに中央政府からこの街は対モンスターの最前線都市の一つとして扱われるようになった。

王都から正規軍が派遣されると、そのリーダーとなる師団長がこの街の防衛を取り仕切ることになったのだ。師団長の指揮能力は高く、かの勇者も一目置いていた。

だから彼も、安心して旅立てることだろう。

「行ってこいよ」

「ああ、剣の手入れが必要になったら、また戻ってくるさ」

あの時と同じ色の斜陽が、勇者を照らす。心なしか、あの時より大人びて見える。

協会の塔の上、鴉が一声だけ鳴いて、飛び立って行った。

 

三日経って、勇者は旅立って行った。街中からの感謝と激励を受けて。

また新たな街を救いに行くらしい。

何故彼が、身を削って街を救おうとしていたのか。俺は興味が湧いて、旅立ちの日にそれとなく聞いてみた。

彼は一言だけ、自分の生まれた村の名前を口にした。

「だからだよ」

数年前、モンスターの襲撃を受けて廃村となった村の名前だった。

確か、生存者は一名だったと記憶している。

 

勇者を見送った後、俺はすぐさま店に戻った。

工房の扉を勢いよく開けた。

父の幻影は、未だ網膜に焼き付いて離れない。

 

「やってやる」

 

 

〜続〜

 

 

 

 

 

鍛冶屋と勇者(1)

雨が窓を叩く。掛け時計のチクタク音をかき消すような強い雨だ。今日は虫の音も、梟の鳴き声も聞こえない。

燭台の上に一本の蝋燭。それが、この部屋を照らす唯一の光源だ。あまりに弱々しく、か細い。

カウンターに突っ伏してみる。普段は木の温もりを感じられるそれも、今日は何故か冷ややかだった。顔を上げて、顎を腕に載せる。体が重い。伸びた髭が服に引っ掛って、そういえば最近髭を剃っていないことに気づく。

憂鬱、というのはきっとこんな感じなんだろうなぁと、ぼんやりと考えた。今まで生きてきて、これほどの喪失感を味わったことがあっただろうか。

薄ぼんやりした部屋の隅に、一振りの剣。ガラスケースの中に丁寧に収められたそれを、ちらと見る。美しい。

だからなんなんだ。

どうしようもなくなって、蝋燭の炎を吹き消した。そしてもう、何も見えなくなってしまった。

 

 

「一番いい剣をくれよ!!」

入口のドアを勢いよく開けた音と共に、よく通る声が店に響いた。

あいつと出会ったのは、それが最初だった。

「あ、あの」

蒸し暑い外気が室内に流れ込んでくる。

「あんたの店にすげーいい剣があるって聞いたんだよ!その剣を俺にくれよ!な!?」

入ってくるなり、そうまくし立てたそいつは、いかにも俺の嫌いな話の分からないタイプのガキ、という風貌だった。

ただ、そいつの頬には何があったのだろうか、随分昔に負ったと思しき十字傷が刻まれていた。

「お客さん、俺と同じくらいの歳だろ。お金、もってるのかよ」

「ない!」

少年は真っ直ぐに俺を見て、悪びれもせずにそう答えた。

その横顔を、斜陽の光がオレンジ色に照らす。

「あのなぁ」

そいつが言っている剣というのは、親父が鍛えたあの剣のことだろう。

「お金もないのに剣をくれ、だなんて、少し虫が良すぎるんじゃないか?」

父の腕は一流だった。

”剣は実際に使われてこそ価値がある”と父は常々言っていた。だから店に剣が置いてあることは殆ど無かった。そして父の名前は、その剣と共に各地へと伝わっていった。

そんな父が遺した剣は、いま店にある唯一の剣だった。

何故なら、俺の作る剣は父のそれの足元にも及ばない出来だからだ。

「俺は勇者だ。だからその剣が必要なんだ」

俺は思い切り店のカウンターを叩いた。

「お前が欲しいって言ってんのはな、この間のモンスターの襲撃で死んだ親父が鍛えた剣だ。俺にとって形見みたいな大事な剣を、金もねぇやつにおいそれと渡すわけねぇだろ!」

一気にそこまで、半ば叫ぶように怒鳴った。頭の中を血がドクドクと巡っているのが感じ取れた。熱い息が、閉じた口の隙間から漏れた。

自分でも、何故そんなに取り乱しているのか理解できなかった。ただ、あいつの佇まいや振る舞いから、よく分からない何かを感じ取ったのかもしれない。

顎先から汗が垂れ落ちた。蝉の鳴き声が、耳の中で何度もこだましている気がする。

「俺は勇者だ」

あいつは身じろぎ一つしないで、真っ直ぐこちらを見つめて言った。その瞳は純粋に澄んでいるようで、その奥には深淵が見えるようであった。

頭の中が混乱している。感情を整理しながら、ゆっくりと顎をさすった。にきびが少し痛んだ。

取り敢えず俺が口を開こうとした時、けたたましい音が街に響いた。モンスターの襲撃を知らせる鐘の音だ。父が命を賭して守った教会の、その塔の鐘だ。

「また来やがったのか」

窓の外を確認すると、逃げ惑う人々とそれに逆行するように向かっていく兵士たちが、混然一体となっている様が見えた。

前回の襲撃で、街の防御施設は甚大な損害を被った。その状態でまともに戦闘を展開できるかは、正直言って疑問だった。

「今回はさすがにまずいんじゃ…」

逃げ惑う人々、倒れ伏す兵士、人間の叫び声とモンスターの咆哮とが混ざり合う。あちこちで上る黒煙、崩れかけた家屋。街は、火薬と血の匂いで充満している。

そんな光景がフラッシュバックした。

「早く剣を俺に!」

そいつは、まだそこに居た。

「お前まだそんなこと言って…」

途端、そいつが俺の腕を掴んだ。少年の顔が、ぐっと近づく。

そいつの瞳は、相変わらず澄んでいて、それでいて深淵を湛えていた。

「俺とお前の親父の剣で、この街を救うんだよ!」

 

~続~